恥ずかしいこと
2002年10月8日今日もまた、気が付くと恥ずかしかった。
なんといっても恥ずかしいのは、
自分が「なんていい風だ!」などと爽快感を味わっている時である。
電車から降りて、外へ出て歩く。
そのときシャツやブラウスやカーディガンや、
ともかくジャケット状に服を羽織っているとする。
そしてそのボタンはあいている。
歩く。
「ああ空気が新鮮だー」ほっとする。
そして颯爽と歩く。
すがすがしい。
だがそこでハッとする。
はずかしい。
自分が歩くにつれて、羽織りものの裾が、なびいている。風にはためいていたりさえする。
オー・マイ・ゴッド!
なんといっても、その状態は、
「颯爽と歩く」
という、恥ずかしくなるようなすがすがしさの象徴なのである。
そう、「颯爽と歩いている」ことが気持ちよかったというのに、
その「颯爽と歩いている」という状態がいかに恥ずかしいものか、
「自分が颯爽としている」と気づいた途端に、
気づくのだ。
たとえば、
鼻歌。
鼻歌を気持ちよく歌っていたとする。
辺りにはあまり人がいないので、気持ちよく歌っている。
ああなんて気持ちのいい日だ。
だが。
ふっと人が自分を追い越していく。
はずかしい!
鼻歌を聞かれなかっただろうか?
それも気持ちよく「上をむいて歩こう」だなんて!
そう、「気持ちよく」歌っていたことがさらに恥ずかしい。
ここに偉大なるパラドクスがある。
「気持ちのいい」ことは「恥ずかしい」ことであったのだ。
無自覚に、「ああ気持ちがいいな」と思っているときは、それはいいことであったはずだ。
しかし、「気持ちがいい」を意識してしまったとき。
そのとき人は
恥ずかしい
と気づくのである。
困ったものだ。
・・・ま、私だけかもしれないけどね。
なんといっても恥ずかしいのは、
自分が「なんていい風だ!」などと爽快感を味わっている時である。
電車から降りて、外へ出て歩く。
そのときシャツやブラウスやカーディガンや、
ともかくジャケット状に服を羽織っているとする。
そしてそのボタンはあいている。
歩く。
「ああ空気が新鮮だー」ほっとする。
そして颯爽と歩く。
すがすがしい。
だがそこでハッとする。
はずかしい。
自分が歩くにつれて、羽織りものの裾が、なびいている。風にはためいていたりさえする。
オー・マイ・ゴッド!
なんといっても、その状態は、
「颯爽と歩く」
という、恥ずかしくなるようなすがすがしさの象徴なのである。
そう、「颯爽と歩いている」ことが気持ちよかったというのに、
その「颯爽と歩いている」という状態がいかに恥ずかしいものか、
「自分が颯爽としている」と気づいた途端に、
気づくのだ。
たとえば、
鼻歌。
鼻歌を気持ちよく歌っていたとする。
辺りにはあまり人がいないので、気持ちよく歌っている。
ああなんて気持ちのいい日だ。
だが。
ふっと人が自分を追い越していく。
はずかしい!
鼻歌を聞かれなかっただろうか?
それも気持ちよく「上をむいて歩こう」だなんて!
そう、「気持ちよく」歌っていたことがさらに恥ずかしい。
ここに偉大なるパラドクスがある。
「気持ちのいい」ことは「恥ずかしい」ことであったのだ。
無自覚に、「ああ気持ちがいいな」と思っているときは、それはいいことであったはずだ。
しかし、「気持ちがいい」を意識してしまったとき。
そのとき人は
恥ずかしい
と気づくのである。
困ったものだ。
・・・ま、私だけかもしれないけどね。
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