-------<レギスタン広場 〜3つのメドレセ>--------------
レギスタン広場へ戻ると、凧が揚がっていた。
凧の紐の途中にカメラを設置し、シャッターは手元で切れるようにして、ポスターやポストカード用の写真を撮っているらしい。

それを私らが見物している間に、ガイドくんは、
馴染みらしい警察官に何かを頼んでいた(そして値切ってもくれたようだ)。

レギスタン広場には、コの字型に、3つのメドレセがある。
向かい合って、ウルグベク・メドレセシェルドル・メドレセがあり、奥(広場からすると正面)にティラカリ・メドレセがある。

?ウルグベク・メドレセ ミナレットと中を含めて5300スム
ガイドくんが交渉していたのは、ウルグベク・メドレセについてだったらしい。
地震で壊れたままのため、本当は入れないミナレットに上らせてくれた。
あまり足場もよくない上、段数も結構多く、しかも暗くて大変で、かなりこれで筋肉痛になったが、
これが、すごくいい眺めで気持ち良かった!
3つのメドレセと、サマルカンドの街が一望できる、とっても贅沢なポイント!
降りてくる時は、さっき交渉していた警官さんも手を貸して降ろしてくれた(とゆーか不必要に手を握られてただけのような気もするが)。

ウルグベク・メドレセの中庭には、ウルグベクとその師弟や詩人の像があって、ウルグベクがここで教えたことを示しているらしい。
メドレセというと、「神学校」と訳されることが多いように思うが、
ここは、宗教も教えたけれども、それだけでなく、ウルグベクの好きだった天文学や数学、詩なども教える、
「学校」と訳した方が正しい場所だったそうだ。

?ティラカリ・メドレセ 時間外だから、となぜかフリーに
ティラカリ・メドレセの中は金で装飾されており、
明かりに映された黄金がいい雰囲気だ。
その中庭では(・・・確かここの中庭だったと思う)、英語など何ヶ国語かでショーが行われていた。
お金を払わなきゃいけなくなるから、とちょっとこっそり覗いて、ティラカリ・メドレセを後にする。

?シェルドル・メドレセ
シェルドルとは「ライオン」の意味だそうだ。
偶像崇拝禁止のイスラム建築には異例の、太陽を背負った虎がヤギを追い掛けているメドレセのアーチが特色。
これには、二側面の意味があるそうな。
(1)神(太陽)に指示された王(虎)が周辺(ヤギ)を制服して統治した。
(2)人間(虎)が知識(ヤギ)を求める時、神(太陽)が側についている(みたいな感じ。完全には理解しきれず(--;)ニュアンスまで掴むのは難しい〜)

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さて、そろそろかなり陽もおちてきたし、
友人の目的のレギスタン広場も堪能できたので、
「帰る頃合かなー」と思っていると、
「まだジャーヒズィンダ廟群見てないの?」と
まださらにガイドくんは、ガイドしてくれる勢いである。

ウズベキスタン対バーレーンのワールドカップへ向けての大切なサッカーの試合があるというのに、友達と見る約束だったらしい、その約束をキャンセルしてくれる。

申し訳なーい(><)

けど、好意に甘えてしまった。
なんだか、五千円をプレゼントしたので逆に気を遣ってくれたらしく、なんか悪かったかもしれない・・・

------<シャージィヒンダ廟群>----- 2000スム
墓に夜行くのは…と躊躇う友達の手を引いて、暗い廟郡を案内してもらった。

入り口前に、最近発掘されたという、ハンマームがおいてあった。

サッカーの試合は、
シャーズィヒンダの階段(41段きちんと数えることができた心の綺麗な人には、何かが起きるという伝説がある)辺りで終わってしまった。
ガイドくんのケータイに入った連絡によれば、引き分けだったらしい。…残念。(そしてごめんなさい)

本当は夜には入れないらしく、通路に明かりもなく、暗くてあまり良く見えなくて残念だったが、
ティムールの友達や姪、妻の兄などの親戚、ティム ールの先生などのものだと教えてくれた。

ひとつの廟は八角形をしていたが、その8の意味は、
イスラムの信徒がするべき5つの行い(五行)+ 母だそうな。
なぜ母が3かというと、
ムハンマドが人に、一番好きな人は誰かと聞かれ、三回までは母だと答えたという話に因るらしい。

暗くて100均のヘタれたペンライトや、ケータイのディスプレイライトでは充分に照らし切れず、昼間見れば綺麗な模様も堪能できただろうに、あまり見えなかった。
今になって、フラッシュで撮った写真で、こんなんだったとようやくわかるくらいなのだ。

まあ、ここは工事(改修?)中で、鉄の足場が囲んでたから、不粋な姿であることには変わりなかったのだが。

7時半頃シャーズィヒンダを出ようとすると、
入口のところのジャーミー集団礼拝所に、人が集まって来ていた。
ラマダンだからというのもあるのだろう。
初めてウズベクの人達がムスリムであるというのを垣間見たシーンだった(というか、初めてで最後だったかも。お祈りの時間を告げるアザーンもあまり聞こえなかった)

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それから、ガイドくんオススメのレストランに夕食に行く。
結局、彼には最後まで付き合って貰ってしまった。

しかし、疲れ過ぎたのか、なんかすぐお腹いっぱいになってしまった。

この店でも時々、日本でも聞きなれた洋楽がかかっていて、
ガイドくんの話に寄れば、ウズベキスタンでは、アメリカやイギリスのポップスだけでなく、インドや東欧、ロシアの音楽も幅広く聴かれているらしい。
ウズベキスタン国民がいろんな肌の人たちであるのと同じように、音楽も多国籍に受け入れられているみたい。
面白い国だ、と思う。
ガイドくんのおかげで、ちょっとイマドキの若者の日常にも触れられてよかったです。

しかし・・・、
疲れのためか、一本だけ飲んだロシアンビールも思いの外よく回ってしまい(ラガー系の味だった)、
タクシーでホテルに帰ったら、何もやることなくシャワーをなんとか浴びるだけで(バスルームがすごく広い)、眠ってしまった。

ごめんよー、レセプショニストくん…お話したそうだったのにね…

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