ウズベキスタンの旅:3日目(ブハラ)?
2005年10月9日 旅行
------<タキ>----------
ブハラには3つのタキが残っている。
レンガを組み上げた素朴な丸い天井が、交差点を覆っていて、
カラフルではないけど、興味深かった。
ヨーロッパへ行ったことはないけど、TVや写真で見る、ヨーロッパの建物のレンガの組み立て方に似てるな、と思った。
ひとつめのタキ(今、地図で確認するとタキ・サラファンぽい)は、
ラビハウズに行くまでに迷って、気が付くと通り抜けていたものだったらしい(その通り抜けた先で、あの写真を撮られた人達に会った)。
2つ目のタキは、建設中か修復中かわからないが、工事中のモスクらしき建物の脇にあった。
この2つ目のタキ(たぶんタキ・テルパクフルシャン)には、「歩き方」の地図になぜか書いてある、手づくりハサミ屋さんがあった。
鳥の形のハサミで、クチバシの部分が葉になっている。
装飾性の高い、まるで人形のようなのもあるが(それでも切れ味はいい)、
巧みに鳥の首から上の形にしたスマートなものもあった。
見ていると、英語がわかるお兄ちゃん(と言いつつ、たぶん年下)が出てきて接客をしてくれ、長く迷っていたら、
「僕が手づくりしてるんだ」と作ってるところも見せてくれた。
お父さんができたてのまだあたたかいハサミを持って出てきたりしてくれて、
日本でも見たことがない、ハサミ作りの簡単な工程も教えてくれた。
この店は、相当歴史がある店らしく、
本業(というか元々)は、剣を作ることらしい。
映画などで見たような、短剣なども売っていたが、さすがに怖かったです・・・(−−;
3つめのタキ(タキ・ザルガラン)は、
ウルグベクのメドレセと、カラーン・モスクの間にあった。
私たちが歩いた順番で言えば、
ウルグベクのメドレセと、その向かいのアブドゥルアジズ・ハーン・メドレセを見て、
カラーン・モスクへ向かう途中に、
さりげなく通り過ぎた屋根のある交差点だった。
タキは、
実際見たときは、本当にさりげなく通り過ぎてしまい、
ガイドブックに書いてある程、見ごたえのある場所だとは感じなかったが、
今になってみると、
その、タキが当たり前のようにある、
「タキのある風景」そのものに価値があったように思う。
埃っぽい道の向こうにタキの丸屋根があり、
タキの中に商魂たくましいおじさんたちが通り抜ける東西からやってきた人々に声をかけ、
タキの向こうにモスクが見える。
その風景は、世界史でしか知らないような昔(中世とか?)から、変わらずにあるのだろう。
(まだ続く)
「タキ」とは「交差点」の意味だそうで、
かつては東西の商人・商品の「交差点」として、シルクロードの商品が集まる、豊かな市場だったという。
昔のアーケード商店街って感じ?
今では、世界の物が並ぶ市場は少しも珍しくなくなったからか、お土産物屋が入っていた。ちょっと寂しい。
ブハラには3つのタキが残っている。
レンガを組み上げた素朴な丸い天井が、交差点を覆っていて、
カラフルではないけど、興味深かった。
ヨーロッパへ行ったことはないけど、TVや写真で見る、ヨーロッパの建物のレンガの組み立て方に似てるな、と思った。
ひとつめのタキ(今、地図で確認するとタキ・サラファンぽい)は、
ラビハウズに行くまでに迷って、気が付くと通り抜けていたものだったらしい(その通り抜けた先で、あの写真を撮られた人達に会った)。
2つ目のタキは、建設中か修復中かわからないが、工事中のモスクらしき建物の脇にあった。
この2つ目のタキ(たぶんタキ・テルパクフルシャン)には、「歩き方」の地図になぜか書いてある、手づくりハサミ屋さんがあった。
鳥の形のハサミで、クチバシの部分が葉になっている。
装飾性の高い、まるで人形のようなのもあるが(それでも切れ味はいい)、
巧みに鳥の首から上の形にしたスマートなものもあった。
見ていると、英語がわかるお兄ちゃん(と言いつつ、たぶん年下)が出てきて接客をしてくれ、長く迷っていたら、
「僕が手づくりしてるんだ」と作ってるところも見せてくれた。
お父さんができたてのまだあたたかいハサミを持って出てきたりしてくれて、
日本でも見たことがない、ハサミ作りの簡単な工程も教えてくれた。
この店は、相当歴史がある店らしく、
本業(というか元々)は、剣を作ることらしい。
映画などで見たような、短剣なども売っていたが、さすがに怖かったです・・・(−−;
3つめのタキ(タキ・ザルガラン)は、
ウルグベクのメドレセと、カラーン・モスクの間にあった。
私たちが歩いた順番で言えば、
ウルグベクのメドレセと、その向かいのアブドゥルアジズ・ハーン・メドレセを見て、
カラーン・モスクへ向かう途中に、
さりげなく通り過ぎた屋根のある交差点だった。
タキは、
実際見たときは、本当にさりげなく通り過ぎてしまい、
ガイドブックに書いてある程、見ごたえのある場所だとは感じなかったが、
今になってみると、
その、タキが当たり前のようにある、
「タキのある風景」そのものに価値があったように思う。
埃っぽい道の向こうにタキの丸屋根があり、
タキの中に商魂たくましいおじさんたちが通り抜ける東西からやってきた人々に声をかけ、
タキの向こうにモスクが見える。
その風景は、世界史でしか知らないような昔(中世とか?)から、変わらずにあるのだろう。
(まだ続く)
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