下関旅行記
2001年8月10日深夜(早朝?)の午前4時前。京都駅着。
当然ながら、駅員さんも誰も姿が見えないv降りたのも私一人。
これから始発までこの構内で一人で時間つぶし(;_;)
とりあえずはトイレに行って、ゆっくり身支度。
そうやってたら、意外にさっさと時間が過ぎて、気が付いたら5時になっていた。
5:07の新快速で新大阪へ行って、そこから新幹線ひかりで九州の小倉へ。
「あ、関門トンネル通るんだよねー」
と思っていたら、そう、トンネル。
…真っ暗…
つまらーん!!(咆)
いったん九州入りしたわけですが、目的地下関は本州(の端)。
在来線に乗り換え、門司、そして再び関門トンネルを抜けて(今度もトンネルだったけど、今回はガタガタよく音がしてちと揺れた)、下関へ到着!!
はしたものの、友達はどこ!?
これ改札出ちゃっていいのか?
メールメール…。
返事がこなーい!!
じゃあ電話だ!
…出ろよ!!(怒)
結局彼女の方から電話が返ってきて、無事に(なんとか)ごたーいめーん!
下関。
観光というよりは友達と語りに来たんだけど、
「新しい水族館ができたの」というので、水族館行きたい熱の巻き起こっていたワタシ、二つ返事でバスに乗った。
行き先は、「海響館」
大阪の某ジンベエザメ水族館のパクリだろう!
という名前はこの際放っておいて、
時間ぴったりだったイルカのショー、アシカのショーを立て続けに見る。
イルカかわいー!アシカおとぼけ!
かつての市立水族館は台風で水が入ってしまってダメダメになってしまったので、
場所を変えて、もう一度設置ということになったそうな。(この新しい水族館も市立のもの)
しかも、その古い水族館は、今ではどこでもやっているけど、日本で初めて、イルカとかのショーをやった水族館だったそうである。
その割には、この新しい水族館のイルカの水槽、小さいと思うけどねぇ…。
水辺の生き物たちに触れるというコーナーがあった。
海の磯辺のように作った一角があって、そこにフジツボだのヒトデだの、小さな魚だのカニだのがいて、自由に触って遊ぶことができる。
そのすぐ近くにベンチを置いてて、手を洗う水道もあって、子供が遊びながら楽しめる。
もう子供ではない私も、楽しくなって遊んでしまった♪
さて、展示の方もきちんと見た。大阪の名前がそっくりな水族館(しつこい)に比べると小さいし、ショボイ。
しかし、山口名産の河豚にこだわった展示とか、瀬戸内海とか下関近郊の海の下を展示していたりして、それなりに特色を出していた。
だが。私たちはアシカのショーのあと、彷徨って展示の方へ迷い込んだので、逆の順序に見ていっていたらしい。
それに気が付いたのが、
「そのエスカレーター乗りたい!」
…上に上がってくるエレベーター。そう。それは展示の最初、入り口の所だったのである…。
エレベーター、乗りましたとも!ぐるーっと一周して、再入場口に回って、最初からやり直しましたとも!
それだけの価値はあって、エレベーターの壁とか天井とかに映される映像などは、効果的に演出していて、綺麗でした。
ま、もう一回同じところ通って、一周したけどさ…。
そしたら最初は近代的にかっこよくても、だんだん普通のつまらない展示の仕方になっていくということに気が付いたさ…。
水族館を後にして、下関のショッピングモールに。
そこでなぜか、東京でも渋って買わなかったサンダルを買ってしまい(^^;
それから友達の家に。
友達の家から歩いて5分強のあたりに、どこかで聞いたことのある(ということは有名なはずの)若宮古墳というのがあった。
大和時代の歴史を感じる場所も、地元民にとっては、ただの芝生の生えた小山。
我が友人は、子供の頃にダンボールを持ってきて草すべりをすると、いかによく滑るかを、語ってくれた(--;
当然ながら、駅員さんも誰も姿が見えないv降りたのも私一人。
これから始発までこの構内で一人で時間つぶし(;_;)
とりあえずはトイレに行って、ゆっくり身支度。
そうやってたら、意外にさっさと時間が過ぎて、気が付いたら5時になっていた。
5:07の新快速で新大阪へ行って、そこから新幹線ひかりで九州の小倉へ。
「あ、関門トンネル通るんだよねー」
と思っていたら、そう、トンネル。
…真っ暗…
つまらーん!!(咆)
いったん九州入りしたわけですが、目的地下関は本州(の端)。
在来線に乗り換え、門司、そして再び関門トンネルを抜けて(今度もトンネルだったけど、今回はガタガタよく音がしてちと揺れた)、下関へ到着!!
はしたものの、友達はどこ!?
これ改札出ちゃっていいのか?
メールメール…。
返事がこなーい!!
じゃあ電話だ!
…出ろよ!!(怒)
結局彼女の方から電話が返ってきて、無事に(なんとか)ごたーいめーん!
下関。
観光というよりは友達と語りに来たんだけど、
「新しい水族館ができたの」というので、水族館行きたい熱の巻き起こっていたワタシ、二つ返事でバスに乗った。
行き先は、「海響館」
大阪の某ジンベエザメ水族館のパクリだろう!
という名前はこの際放っておいて、
時間ぴったりだったイルカのショー、アシカのショーを立て続けに見る。
イルカかわいー!アシカおとぼけ!
かつての市立水族館は台風で水が入ってしまってダメダメになってしまったので、
場所を変えて、もう一度設置ということになったそうな。(この新しい水族館も市立のもの)
しかも、その古い水族館は、今ではどこでもやっているけど、日本で初めて、イルカとかのショーをやった水族館だったそうである。
その割には、この新しい水族館のイルカの水槽、小さいと思うけどねぇ…。
水辺の生き物たちに触れるというコーナーがあった。
海の磯辺のように作った一角があって、そこにフジツボだのヒトデだの、小さな魚だのカニだのがいて、自由に触って遊ぶことができる。
そのすぐ近くにベンチを置いてて、手を洗う水道もあって、子供が遊びながら楽しめる。
もう子供ではない私も、楽しくなって遊んでしまった♪
さて、展示の方もきちんと見た。大阪の名前がそっくりな水族館(しつこい)に比べると小さいし、ショボイ。
しかし、山口名産の河豚にこだわった展示とか、瀬戸内海とか下関近郊の海の下を展示していたりして、それなりに特色を出していた。
だが。私たちはアシカのショーのあと、彷徨って展示の方へ迷い込んだので、逆の順序に見ていっていたらしい。
それに気が付いたのが、
「そのエスカレーター乗りたい!」
…上に上がってくるエレベーター。そう。それは展示の最初、入り口の所だったのである…。
エレベーター、乗りましたとも!ぐるーっと一周して、再入場口に回って、最初からやり直しましたとも!
それだけの価値はあって、エレベーターの壁とか天井とかに映される映像などは、効果的に演出していて、綺麗でした。
ま、もう一回同じところ通って、一周したけどさ…。
そしたら最初は近代的にかっこよくても、だんだん普通のつまらない展示の仕方になっていくということに気が付いたさ…。
水族館を後にして、下関のショッピングモールに。
そこでなぜか、東京でも渋って買わなかったサンダルを買ってしまい(^^;
それから友達の家に。
友達の家から歩いて5分強のあたりに、どこかで聞いたことのある(ということは有名なはずの)若宮古墳というのがあった。
大和時代の歴史を感じる場所も、地元民にとっては、ただの芝生の生えた小山。
我が友人は、子供の頃にダンボールを持ってきて草すべりをすると、いかによく滑るかを、語ってくれた(--;
そんな日こんな日、今日は下がり気味。
2001年8月5日結局私って、自分に自信がないんだよなぁ…。
だから、だれか愛して〜って思ったり。
自分に自信がないから、自分から愛しはしないのにね。
だから、だれか愛して〜って思ったり。
自分に自信がないから、自分から愛しはしないのにね。
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まだバイトも始めてないので、連日ただ本を読んだり散歩で図書館に行ったりしているだけの私。
片っ端から読みつぶしているけど、語るべきほどでもないな、というのが多かった中で、
これはなかなかの読み応え。
『王妃の離婚』(集英社/佐藤賢一)
さすがは佐藤賢一。
舞台はフランス、ヴァロワ朝。絶対王政初期。
かつてのカルチェ・ラタン(パリ大学の学生街)の風雲児フランソワは、弁護士となって裁判を傍聴していた。
被告はジャンヌ・ドゥ・ブルボン、原告は新しいフランス国王ルイ12世。
暴君と呼ばれたルイ11世の娘ジャンヌを、現国王ルイ12世がその父の死んだ今、離婚しようとする裁判であった。
原則としてキリスト教において「離婚」はない。適当に理由をつけて「婚約の無効」を立証すればいいのだ。
ジャンヌはさっぱりと離婚の申し立てを受け入れると思われたが、傍聴席の予想に反して抵抗。しかし王宮の息のかかった法廷と、初めから負けるつもりのやる気のないジャンヌの弁護人(弁護士)のために、審判はずるずると延びるばかりで、一方的に不利であった。
フランソワはかつてその暴君に、暴力を持ってカルチェ・ラタンを追われたことに恨みを抱いていた。フランソワはその暴君の娘が惨めに負けていく姿を見届けて、その恨みを晴らそうと思っていた。
しかし学生時代の後輩、その若い弟子たちを見るにつけ、「インテリは権力には屈しない」という自分の学生時代の言葉を思い出し、ルイ12世の権力によって負かされようとしているジャンヌ・ドゥ・ブルボンがひっかって…
オーエンがいいですな。基本的にフランソワの一人称で書いてあるので、フランソワが微妙な感情を抱く、学生時代の恋人の弟であり、自分を痛めつけたルイ11世の親衛隊員、いい役どころだなと思います。
法廷の裁判が軸ではあるけど、そこにオーエンや、後輩の弟子・学生フランソワや、かつての恋人との思い出やら未練やらが絡んでくるのがいい。
結婚にそんなにこだらわなくてもいいのに、と思ったりもするけど、
一度結婚していたのなら、やっぱりどうしても別れがたいのか、と思ったり。
今よりは男尊女卑が強い時代だから、というのはあるけれど、今だって一度結婚したら同じように考えるんじゃないかな。
強い女は好きです。
でも強い女は損をするんだよねぇ…
片っ端から読みつぶしているけど、語るべきほどでもないな、というのが多かった中で、
これはなかなかの読み応え。
『王妃の離婚』(集英社/佐藤賢一)
さすがは佐藤賢一。
舞台はフランス、ヴァロワ朝。絶対王政初期。
かつてのカルチェ・ラタン(パリ大学の学生街)の風雲児フランソワは、弁護士となって裁判を傍聴していた。
被告はジャンヌ・ドゥ・ブルボン、原告は新しいフランス国王ルイ12世。
暴君と呼ばれたルイ11世の娘ジャンヌを、現国王ルイ12世がその父の死んだ今、離婚しようとする裁判であった。
原則としてキリスト教において「離婚」はない。適当に理由をつけて「婚約の無効」を立証すればいいのだ。
ジャンヌはさっぱりと離婚の申し立てを受け入れると思われたが、傍聴席の予想に反して抵抗。しかし王宮の息のかかった法廷と、初めから負けるつもりのやる気のないジャンヌの弁護人(弁護士)のために、審判はずるずると延びるばかりで、一方的に不利であった。
フランソワはかつてその暴君に、暴力を持ってカルチェ・ラタンを追われたことに恨みを抱いていた。フランソワはその暴君の娘が惨めに負けていく姿を見届けて、その恨みを晴らそうと思っていた。
しかし学生時代の後輩、その若い弟子たちを見るにつけ、「インテリは権力には屈しない」という自分の学生時代の言葉を思い出し、ルイ12世の権力によって負かされようとしているジャンヌ・ドゥ・ブルボンがひっかって…
オーエンがいいですな。基本的にフランソワの一人称で書いてあるので、フランソワが微妙な感情を抱く、学生時代の恋人の弟であり、自分を痛めつけたルイ11世の親衛隊員、いい役どころだなと思います。
法廷の裁判が軸ではあるけど、そこにオーエンや、後輩の弟子・学生フランソワや、かつての恋人との思い出やら未練やらが絡んでくるのがいい。
結婚にそんなにこだらわなくてもいいのに、と思ったりもするけど、
一度結婚していたのなら、やっぱりどうしても別れがたいのか、と思ったり。
今よりは男尊女卑が強い時代だから、というのはあるけれど、今だって一度結婚したら同じように考えるんじゃないかな。
強い女は好きです。
でも強い女は損をするんだよねぇ…
偉大なる友人に乾杯
2001年7月31日久しぶりに親友と会いました。
なんてったって1年ぶり(^^;
それでも続くってすごい。
すごいだけのことはあって、わたしにとって、本当に大切な人なのですが。
ワタクシ、留学期間中にうじうじと悩んだことがあって。
それが「無神経」と呼ばれる所。
無神経は無神経なんだから、どこが言ってマズイかわからずに口にする。無自覚。
だからよけいに直しにくいじゃないか。厄介じゃないか。それって一番迷惑だろう。
で、心密かにそう思っていたところ、
その友達と会って、何気なく話していたら、
「自分が言われていやなことは人にも言わないことだよ」
ハッ。と。
ええ当たり前なんだけどね。
私は土台がお世辞とかでも嘘が嫌いなので、思ったことは何でも言って欲しいと思う人なんですよ。
それで、人にも何でも言うんだけど。
忘れちゃいけない注意点を忘れていたようでした。
反省反省。
なんてったって1年ぶり(^^;
それでも続くってすごい。
すごいだけのことはあって、わたしにとって、本当に大切な人なのですが。
ワタクシ、留学期間中にうじうじと悩んだことがあって。
それが「無神経」と呼ばれる所。
無神経は無神経なんだから、どこが言ってマズイかわからずに口にする。無自覚。
だからよけいに直しにくいじゃないか。厄介じゃないか。それって一番迷惑だろう。
で、心密かにそう思っていたところ、
その友達と会って、何気なく話していたら、
「自分が言われていやなことは人にも言わないことだよ」
ハッ。と。
ええ当たり前なんだけどね。
私は土台がお世辞とかでも嘘が嫌いなので、思ったことは何でも言って欲しいと思う人なんですよ。
それで、人にも何でも言うんだけど。
忘れちゃいけない注意点を忘れていたようでした。
反省反省。
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終に見てきました。
日本だと映画高いのになぁ…と思いつつ。
見に行った友達の評判、そんなによくないのになぁ、と思いつつ。
とにかく観てきました。
地球温暖化の影響で多くの低地の大都市が沈んだ世界。
そこでは、すでにArtificial Intrligence(人工知能)が実用化され、
人口抑制のため妊娠には許可が必要だが労働者の確保その他のために、食糧危機を回避するために、かなりの数が普及していた。
ヘンリーとモニカ夫妻には息子のマーティンがいたが、彼は事故でほぼ植物人間となり冷凍睡眠にかけられていた。
一方、新しいA.I.として、「愛」を理解し親を愛する子供型の開発が進められていて、その試作品「David」が誕生した。
モニカはこのDavidのモニターになる。
デイビッドはモニカをママと認識し、無条件で彼女を愛す。
その一方でモニカは「愛」してはいるものの、A.I.のデイビッドに違和感を隠し切れない。
そんな中息子のマーティンの容態に変化がおきて…
友達に聞いていたよりは、ずっとよかったです。
Flush Fairはイギリス産業革命の頃のラダイット運動がモデルでしょうが、あれ、怖いよ。ホントに!
人間自分勝手ですね…
友達に聞いていた通り、Blue Fairyが出てくるまではおもしろかった。確かにその後は蛇足のような気もする。
まぁでも、Blue Fairyが出てくるまで映画の3分の2ぐらいは終わるので、全然大丈夫です。
デイビッドはでも、やっぱり「プログラム」だからモニカに対して執着しているような、そんな感じもしたなぁ。
自分を「個人」として愛してほしい、ということの方が私は泣けました。
開発者側にもいろいろ思い入れがあったりするけど、子供らしい猪突猛進さがそれを全部蹴散らす、って感じ。
で、最後の「蛇足」の方に出てくるあの細っこい金属生命体、
あれが宇宙人だとしたら平凡すぎて詰まんないしあのデザインは余り納得できないんだけど、
あれが生き残ったメカたちのなれの果てというんだったら、示唆深いと思うんですが…
たぶん宇宙人だろうけど。
話とは関係ないけど、
DreamWorksの最初のロゴ、好きだなー。
Shrekのときも思ったけど。
日本だと映画高いのになぁ…と思いつつ。
見に行った友達の評判、そんなによくないのになぁ、と思いつつ。
とにかく観てきました。
地球温暖化の影響で多くの低地の大都市が沈んだ世界。
そこでは、すでにArtificial Intrligence(人工知能)が実用化され、
人口抑制のため妊娠には許可が必要だが労働者の確保その他のために、食糧危機を回避するために、かなりの数が普及していた。
ヘンリーとモニカ夫妻には息子のマーティンがいたが、彼は事故でほぼ植物人間となり冷凍睡眠にかけられていた。
一方、新しいA.I.として、「愛」を理解し親を愛する子供型の開発が進められていて、その試作品「David」が誕生した。
モニカはこのDavidのモニターになる。
デイビッドはモニカをママと認識し、無条件で彼女を愛す。
その一方でモニカは「愛」してはいるものの、A.I.のデイビッドに違和感を隠し切れない。
そんな中息子のマーティンの容態に変化がおきて…
友達に聞いていたよりは、ずっとよかったです。
Flush Fairはイギリス産業革命の頃のラダイット運動がモデルでしょうが、あれ、怖いよ。ホントに!
人間自分勝手ですね…
友達に聞いていた通り、Blue Fairyが出てくるまではおもしろかった。確かにその後は蛇足のような気もする。
まぁでも、Blue Fairyが出てくるまで映画の3分の2ぐらいは終わるので、全然大丈夫です。
デイビッドはでも、やっぱり「プログラム」だからモニカに対して執着しているような、そんな感じもしたなぁ。
自分を「個人」として愛してほしい、ということの方が私は泣けました。
開発者側にもいろいろ思い入れがあったりするけど、子供らしい猪突猛進さがそれを全部蹴散らす、って感じ。
で、最後の「蛇足」の方に出てくるあの細っこい金属生命体、
あれが宇宙人だとしたら平凡すぎて詰まんないしあのデザインは余り納得できないんだけど、
あれが生き残ったメカたちのなれの果てというんだったら、示唆深いと思うんですが…
たぶん宇宙人だろうけど。
話とは関係ないけど、
DreamWorksの最初のロゴ、好きだなー。
Shrekのときも思ったけど。
日本にびっくり
2001年7月24日変な感じ。
日本はよく知っている所のはずなので、不思議。
例えば、
天井が低い
とか
洗面台が低い
とか
日本食なのにアメリカの時のような感覚でたくさんは食べられない
とか。
どうやって生活すればいいか、そういう事は知っているので、普通に行動することはできるのに、
変な感じがします。
ちゃんと普通に行動できる自分に驚いていたり、
夢と現実がひっくり返ってしまったような、
変な感じです。
ラジオで流れるのも日本語の歌なんだろうなぁ…
困惑
とはこういう気分なのでしょう。
日本はよく知っている所のはずなので、不思議。
例えば、
天井が低い
とか
洗面台が低い
とか
日本食なのにアメリカの時のような感覚でたくさんは食べられない
とか。
どうやって生活すればいいか、そういう事は知っているので、普通に行動することはできるのに、
変な感じがします。
ちゃんと普通に行動できる自分に驚いていたり、
夢と現実がひっくり返ってしまったような、
変な感じです。
ラジオで流れるのも日本語の歌なんだろうなぁ…
困惑
とはこういう気分なのでしょう。
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帰国
2001年7月23日日本についに帰ってきちゃいました…。
Summer Housingになってもうほとんど日本人ばっりになった頃は、
もう日本に帰っても一緒だー、ヤダーと
思っていたのですが、
いざ実際に帰るとなると、
もう1日に1回も英語使わないんだ…
とか、
もう寮じゃないから朝起きてすぐに友達を見つけられるわけじゃないんだ…
とか、
ヒマだったら友達の部屋に遊びに行けばいいんだ、ってのはもうナシかぁ…
とか、
とても小さいことなんだけど、
それがないのが寂しい…
日本に着いて(飛行機を出て)まず思ったのは、
暑い!!
日本語の「暑い」は天候に関して使いますが、
あっちの天気だと「暑い」より「熱い」って感じだったんですが、
やっぱり日本だと「暑い」ですね。
湿気があるってことは、気温に関係なく体感温度を上げるもんなんですねー、ホント…
Summer Housingになってもうほとんど日本人ばっりになった頃は、
もう日本に帰っても一緒だー、ヤダーと
思っていたのですが、
いざ実際に帰るとなると、
もう1日に1回も英語使わないんだ…
とか、
もう寮じゃないから朝起きてすぐに友達を見つけられるわけじゃないんだ…
とか、
ヒマだったら友達の部屋に遊びに行けばいいんだ、ってのはもうナシかぁ…
とか、
とても小さいことなんだけど、
それがないのが寂しい…
日本に着いて(飛行機を出て)まず思ったのは、
暑い!!
日本語の「暑い」は天候に関して使いますが、
あっちの天気だと「暑い」より「熱い」って感じだったんですが、
やっぱり日本だと「暑い」ですね。
湿気があるってことは、気温に関係なく体感温度を上げるもんなんですねー、ホント…
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ついに読了です!!
今朝寝坊して体育の授業に行けなくなったので、最後の4ページを読んで、ついに、ついに、ようやく、読み終えました!!
あー長かった・・・。2、3ヶ月かかってしまいましたv
というのも、ひとえにアメリカ英語版で読んだからなのでしょう(^^;
無謀にも、単語がわからないにもかかわらずほとんど辞書も引かずに、大筋だけを捉えてみましたv
Harry Potter―その少年の名前は Muggle(魔法使いや魔女が住む社会)でもとても有名だった。
しかし本人はそんなことは知らない、おばのDursley家に居候する孤児(みなしご)で、同い年のいとこDudleyにいじめられる、ただ惨めな子供だった。
だが彼の15歳(あれ?13歳?16歳?・・・(^^;)の誕生日の日、その生活は大きく変わった。
なぜなら彼がHagwarts School of witcheraft and wizerdryに入学する、案内所が届いたからだ・・・
えー、ネタバレにならない程度のあらすじだとやっぱりどこでも書いているようなこんな照会文しか書けないな。
ネタバレというか、このお話はとってもディティールがしっかりしているので、大筋とは関係ないような、
変わったお菓子とか、Quidditchのような魔法使い/魔女ならではのスポーツとか、
そういうものもおもしろいですね。
謎が謎を呼ぶ、のはファンタジー好きとしては慣れたものだし。(まぁ私がささっと読むくらいの理解の仕方しかできないから、伏線とか謎の謎具合を書き立てる表現とかを理解できなかっただけだからかもしれませんが・・・)
だって、ハリーが魔法学校に入学するまでに、「賢者の石」の言葉が出てくるまでに、こんなにページがかかるとは思わなかったのよ!
あぁ疲れた・・・。
最後の方の章はハラハラして先を(つらくても)早く読みたい!と思うようになったけど(最後の最後にどんでん返しが来るし!)、
最初のほうは大変でした(^^;
やっぱりまだ、
私の英語力で英語の本を楽しめるのはせいぜい絵本だけかな・・・v
だけど、こりもせずに次もアメリカ英語で読むぞ!!(^^;
――――――――――――――――
7/6の日記でやたらと『Shrek』をお勧めしたけど、日本ではまだ公開されてないんですね(^^;
ごめんなさいv
公開されたら、是非是非、見に行ってくださいね!
今朝寝坊して体育の授業に行けなくなったので、最後の4ページを読んで、ついに、ついに、ようやく、読み終えました!!
あー長かった・・・。2、3ヶ月かかってしまいましたv
というのも、ひとえにアメリカ英語版で読んだからなのでしょう(^^;
無謀にも、単語がわからないにもかかわらずほとんど辞書も引かずに、大筋だけを捉えてみましたv
Harry Potter―その少年の名前は Muggle(魔法使いや魔女が住む社会)でもとても有名だった。
しかし本人はそんなことは知らない、おばのDursley家に居候する孤児(みなしご)で、同い年のいとこDudleyにいじめられる、ただ惨めな子供だった。
だが彼の15歳(あれ?13歳?16歳?・・・(^^;)の誕生日の日、その生活は大きく変わった。
なぜなら彼がHagwarts School of witcheraft and wizerdryに入学する、案内所が届いたからだ・・・
えー、ネタバレにならない程度のあらすじだとやっぱりどこでも書いているようなこんな照会文しか書けないな。
ネタバレというか、このお話はとってもディティールがしっかりしているので、大筋とは関係ないような、
変わったお菓子とか、Quidditchのような魔法使い/魔女ならではのスポーツとか、
そういうものもおもしろいですね。
謎が謎を呼ぶ、のはファンタジー好きとしては慣れたものだし。(まぁ私がささっと読むくらいの理解の仕方しかできないから、伏線とか謎の謎具合を書き立てる表現とかを理解できなかっただけだからかもしれませんが・・・)
だって、ハリーが魔法学校に入学するまでに、「賢者の石」の言葉が出てくるまでに、こんなにページがかかるとは思わなかったのよ!
あぁ疲れた・・・。
最後の方の章はハラハラして先を(つらくても)早く読みたい!と思うようになったけど(最後の最後にどんでん返しが来るし!)、
最初のほうは大変でした(^^;
やっぱりまだ、
私の英語力で英語の本を楽しめるのはせいぜい絵本だけかな・・・v
だけど、こりもせずに次もアメリカ英語で読むぞ!!(^^;
――――――――――――――――
7/6の日記でやたらと『Shrek』をお勧めしたけど、日本ではまだ公開されてないんですね(^^;
ごめんなさいv
公開されたら、是非是非、見に行ってくださいね!
”Shrek"
2001年7月6日 映画映画"Shrek"見てきました!
初め「シャーク」って読むと思っていたんだけど、「シュレック」が正解。
すごいおもしろかった!
私が今までアメリカで見た映画の中で一番面白かったって位、おもしろかった!!
アメリカのCGアニメ映画だからって、あまり期待してなかったけど、馬鹿にしちゃいけなかった。
この舞台となる王国の王様フォークロワは、自分の王国を完璧な王国にしたい。
だから、Fairy Taleにでてくるようなファンタジックな生き物は、この王国にいるべきじゃないと思っていて、
Fairy Taleに出てくるような生き物に賞金をかけて、王国中から集めることにした。
そんな王様、ある日白雪姫の魔法の鏡を手に入れた。初めはどこにFairy Taleの生き物たちが住んでいるのか、聞こうとしたけれど、
魔法の鏡が「この王国は実はまだ完璧じゃないね。だってお姫様がいないじゃないか」というので、ドラゴンに囚われたフィオナ姫を助けて、自分のお妃さまにすることにした。
・・・・・・・・
一方、オーガのShrekは自分の沼地で静かに一人で暮らしていた。
一人で静かに暮らすのが好きだから、近くに人がやって来たりするのがいやで、近寄る人間たちを脅かして、追い払っていた。
それがたまたま「Fiary Taleの生き物狩り」にきた人間たちから、小人を守ったということになり、喋るドンキーを守ったということになり、
噂が広まって、Fairy Taleの生き物たちがShrekの家の周りに集まってしまった。
「何でみんなここにいるんだ!ここは俺は静かなのが好きなんだ!」
「だってフォークロワが僕たちを狩ろうとするんだもん!」
「じゃあ俺がフォークロワに話をつけてやるから、そしたら出て行けよ!」
なぜかShrekはFairy Taleの生き物たちの英雄になってしまい、
フォークロワのところにドンキーを道案内に、出かけていくことになった。
出かけていくと、フォークロワの王様がドラゴン退治の兵士を探すトーナメントを始めようとしていて・・・
あらすじなんて読んでもしょうがない。
このおもしろさは見ないとわからない!
すっごい笑える!
Shrekとドンキーの掛け合いもおもしろいし、
フォークロワの王様もおもしろい。
ドラゴンもかわいいし、
極めつけのフィオナ姫も実はすごい!
それに、ほとんどの古典的なFairy Taleのパロディーが出てきます。
かわいい!
おもしろい!
これは絶対見逃しちゃいけないぞ!
みんな映画館へ走れ!(笑)
それに、私が見たときは一緒にたくさんの子どもが映画館にいて、「Shrek!」とか、応援の掛け声みたいなのとか、そういう声が聞こえて、
かわいかった^^
初め「シャーク」って読むと思っていたんだけど、「シュレック」が正解。
すごいおもしろかった!
私が今までアメリカで見た映画の中で一番面白かったって位、おもしろかった!!
アメリカのCGアニメ映画だからって、あまり期待してなかったけど、馬鹿にしちゃいけなかった。
この舞台となる王国の王様フォークロワは、自分の王国を完璧な王国にしたい。
だから、Fairy Taleにでてくるようなファンタジックな生き物は、この王国にいるべきじゃないと思っていて、
Fairy Taleに出てくるような生き物に賞金をかけて、王国中から集めることにした。
そんな王様、ある日白雪姫の魔法の鏡を手に入れた。初めはどこにFairy Taleの生き物たちが住んでいるのか、聞こうとしたけれど、
魔法の鏡が「この王国は実はまだ完璧じゃないね。だってお姫様がいないじゃないか」というので、ドラゴンに囚われたフィオナ姫を助けて、自分のお妃さまにすることにした。
・・・・・・・・
一方、オーガのShrekは自分の沼地で静かに一人で暮らしていた。
一人で静かに暮らすのが好きだから、近くに人がやって来たりするのがいやで、近寄る人間たちを脅かして、追い払っていた。
それがたまたま「Fiary Taleの生き物狩り」にきた人間たちから、小人を守ったということになり、喋るドンキーを守ったということになり、
噂が広まって、Fairy Taleの生き物たちがShrekの家の周りに集まってしまった。
「何でみんなここにいるんだ!ここは俺は静かなのが好きなんだ!」
「だってフォークロワが僕たちを狩ろうとするんだもん!」
「じゃあ俺がフォークロワに話をつけてやるから、そしたら出て行けよ!」
なぜかShrekはFairy Taleの生き物たちの英雄になってしまい、
フォークロワのところにドンキーを道案内に、出かけていくことになった。
出かけていくと、フォークロワの王様がドラゴン退治の兵士を探すトーナメントを始めようとしていて・・・
あらすじなんて読んでもしょうがない。
このおもしろさは見ないとわからない!
すっごい笑える!
Shrekとドンキーの掛け合いもおもしろいし、
フォークロワの王様もおもしろい。
ドラゴンもかわいいし、
極めつけのフィオナ姫も実はすごい!
それに、ほとんどの古典的なFairy Taleのパロディーが出てきます。
かわいい!
おもしろい!
これは絶対見逃しちゃいけないぞ!
みんな映画館へ走れ!(笑)
それに、私が見たときは一緒にたくさんの子どもが映画館にいて、「Shrek!」とか、応援の掛け声みたいなのとか、そういう声が聞こえて、
かわいかった^^
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Horse back riding
2001年6月30日いわゆる乗馬(もどき)。
生まれて初めて馬に自分で乗りました。
と言っても、馬はよく調教されてるし、
馬を乗せるのが商売なとことろに行ったので、
安心して乗っていられました。
よいしょっと馬に乗り、
一番前の人にくっついて勝手に馬が歩いていってくれる。
だが、ときどき馬は飽きるらしく草を食べ始めるので、
「だめっ」ってたずなを引っ張ってやる。
ゆっくり歩くのに飽きたので、たまにはちょっと走らせてみたりする。
馬はかわいいぞおー!!
つやつやした黒い瞳がなんとも言えずに魅力的。
大きくってでこぼこしたあったかい背中が気持ちよかったー^^
馬を歩かせたのは森の中
すごい気持ちよかった。
本当に森の中。馬とか人がえっちら歩くくらいしかできない細い道。
歩いてる途中で脇を大きな川が流れているのが見えて、
快適でした。
心が洗われるとはこういう事を言うんでしょう。
ほよーっとして幸せでした。
念願かなって幸せも3倍。
生まれて初めて馬に自分で乗りました。
と言っても、馬はよく調教されてるし、
馬を乗せるのが商売なとことろに行ったので、
安心して乗っていられました。
よいしょっと馬に乗り、
一番前の人にくっついて勝手に馬が歩いていってくれる。
だが、ときどき馬は飽きるらしく草を食べ始めるので、
「だめっ」ってたずなを引っ張ってやる。
ゆっくり歩くのに飽きたので、たまにはちょっと走らせてみたりする。
馬はかわいいぞおー!!
つやつやした黒い瞳がなんとも言えずに魅力的。
大きくってでこぼこしたあったかい背中が気持ちよかったー^^
馬を歩かせたのは森の中
すごい気持ちよかった。
本当に森の中。馬とか人がえっちら歩くくらいしかできない細い道。
歩いてる途中で脇を大きな川が流れているのが見えて、
快適でした。
心が洗われるとはこういう事を言うんでしょう。
ほよーっとして幸せでした。
念願かなって幸せも3倍。
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気がつけばv
2001年6月28日御久しぶりですv
かなり長くごぶさただったことが判明v
そうか、私は忙しかったのか・・・
今になってやっとわかった(^^;
私の留学しているアメリカの大学では、
summer qouterに入りました。
この大学は4学期制をとっていて、
夏、秋、冬、春の4つに1年が別れています。
普通アメリカ人(レギュラークラスをとっている人達)たちは夏の学期の授業を取らないので、
今キャンパスにはあまりアメリカ人学生がいません。
語学留学の人がほとんどです。
そんなわけで、
寮も2つにまとめられてしまい、
私のルームメイトは実家に帰ってしまいました。
その引っ越し準備とか、お別れのプレゼントの準備とか、その後の10日間のBreakの計画・準備とかで、
どうやら私は忙しくしていたらしく、
かなり長い間の日記が抜けていますv
これから徐々に埋めていくので、
よかったらまた読んで下さい!(><)
かなり長くごぶさただったことが判明v
そうか、私は忙しかったのか・・・
今になってやっとわかった(^^;
私の留学しているアメリカの大学では、
summer qouterに入りました。
この大学は4学期制をとっていて、
夏、秋、冬、春の4つに1年が別れています。
普通アメリカ人(レギュラークラスをとっている人達)たちは夏の学期の授業を取らないので、
今キャンパスにはあまりアメリカ人学生がいません。
語学留学の人がほとんどです。
そんなわけで、
寮も2つにまとめられてしまい、
私のルームメイトは実家に帰ってしまいました。
その引っ越し準備とか、お別れのプレゼントの準備とか、その後の10日間のBreakの計画・準備とかで、
どうやら私は忙しくしていたらしく、
かなり長い間の日記が抜けていますv
これから徐々に埋めていくので、
よかったらまた読んで下さい!(><)
Arizona日記3日目―アメリカ性教育
2001年6月22日 旅行私がびっくりしたアメリカ事情のひとつに、小さな子の性知識がある。
はっきりとどういう文脈だったかは覚えていないが、
host mamが10歳の女の子にセックスと言って、きちんと相手に意味が通じていた。
一人前の女性とまったく同じではないけど、でもわりあいその会話は対等になされていた(という印象があった)。
これにはびっくりした。短いふたりで交わされた会話だったし、深くつっこんでは聞きにくい話題なので、
アメリカの性教育について質問は、さすがにできなかったけど、
幼児に対する性的虐待も多いし、
それを身近な男性(たとえば父親とかの肉親)から受けるケースが圧倒的に多いという事情もあるのだろうが、
きちんとこうすると妊娠する可能性があるとか、これは性的なことでしてもされてもいけないことなんだとか、
そういうことが教えられているようだ。
一方、私が10歳の頃、セックスといわれて意味がわ
かったか、といったら、答えはAbsorutly NO.
進んでる、と思った。
そういう具体的なことを、私は誰からも直接教えられたことはない。
教えられなかったけど、いつのまにか、中学生の間には知っていた。
たぶん、このアメリカという国は、私が中学生のときに見たり聞いたりしていたものを、
小学生の少なくとも中学年の内には、見聞きするのだろう。
でなきゃ、学校でハッキリと言っているのか。
第一、性に対して、日本ほどタブーという捉らえ方をしていない。たとえ相手が、小学生でも。
私が小学生のとき、保健体育の授業参観で、第二次性徴と受精の仕組みをやった。
そのとき、ほとんどの同級生が思っただろう、誰かが(もしかしたら私が)した質問が
「精子と卵子は別別のからだに入ってるのに、どうやってどちらかひとつの体に入って受精す
るんですか」。
今からすれば赤面ものの率直な質問だが、それくらい知らなかったのだ。
この質問に対して、その男の先生は、「そうだね。それはまたの機会にやろう」というようなことを、神妙に言って返した。
実際は結局そののち、「それ」を教えてもらうことはなかったけど。
でも、そこでなんの返答もなく「まだはやい」と終わってしまうのが、日本のやりかただと思う。
アメリカは
性犯罪が年が小さくてもかなりの件数があるし、
それが公に出ている。
日本の子供は、それはいけないことだというのを知らされずに、その被害者になっているかもしれない。
…などと、思ったり、した。
はっきりとどういう文脈だったかは覚えていないが、
host mamが10歳の女の子にセックスと言って、きちんと相手に意味が通じていた。
一人前の女性とまったく同じではないけど、でもわりあいその会話は対等になされていた(という印象があった)。
これにはびっくりした。短いふたりで交わされた会話だったし、深くつっこんでは聞きにくい話題なので、
アメリカの性教育について質問は、さすがにできなかったけど、
幼児に対する性的虐待も多いし、
それを身近な男性(たとえば父親とかの肉親)から受けるケースが圧倒的に多いという事情もあるのだろうが、
きちんとこうすると妊娠する可能性があるとか、これは性的なことでしてもされてもいけないことなんだとか、
そういうことが教えられているようだ。
一方、私が10歳の頃、セックスといわれて意味がわ
かったか、といったら、答えはAbsorutly NO.
進んでる、と思った。
そういう具体的なことを、私は誰からも直接教えられたことはない。
教えられなかったけど、いつのまにか、中学生の間には知っていた。
たぶん、このアメリカという国は、私が中学生のときに見たり聞いたりしていたものを、
小学生の少なくとも中学年の内には、見聞きするのだろう。
でなきゃ、学校でハッキリと言っているのか。
第一、性に対して、日本ほどタブーという捉らえ方をしていない。たとえ相手が、小学生でも。
私が小学生のとき、保健体育の授業参観で、第二次性徴と受精の仕組みをやった。
そのとき、ほとんどの同級生が思っただろう、誰かが(もしかしたら私が)した質問が
「精子と卵子は別別のからだに入ってるのに、どうやってどちらかひとつの体に入って受精す
るんですか」。
今からすれば赤面ものの率直な質問だが、それくらい知らなかったのだ。
この質問に対して、その男の先生は、「そうだね。それはまたの機会にやろう」というようなことを、神妙に言って返した。
実際は結局そののち、「それ」を教えてもらうことはなかったけど。
でも、そこでなんの返答もなく「まだはやい」と終わってしまうのが、日本のやりかただと思う。
アメリカは
性犯罪が年が小さくてもかなりの件数があるし、
それが公に出ている。
日本の子供は、それはいけないことだというのを知らされずに、その被害者になっているかもしれない。
…などと、思ったり、した。
Arizona日記2日目―子供の罰
2001年6月21日 旅行アメリカで子供が悪いことをしたときに与える罰に、
Time out
というのがある。
子供を離れたところに、こちらが「もういいよ」と言うまで静かに置いておく、というものである。
次元としては家から締め出すとか、教室の廊下に立たせるとかと同じだ。
10分とか経つと、親または先生がきて、
「なんでみんなから離れてタイム・アウトしてなきゃいけなかったかわかる?」
と聞く。「わかった」と返ってくると、
「じゃぁそれを言ってみて」
と聞き、ちゃんとわかっているか、反省しているかどうかを確認する。
わかっていなかったら、それを静かに教え、
話してわかったようならみんなの輪に復帰が許される。
わからないようなら、「タイム・アウト」が延長される。
まぁだいたいはみんな、この時点で輪に戻ってくるが、また騒いだり人に迷惑をかけたりして困らせた場合には、
「まだわからないのね」
とタイム・アウトをもう一度。
私のHost mamもこれをしょっちゅう出していた。
タイム・アウト。
これが私はいい罰(しつけの手段)だな、と思ったのだ。
タイム・アウトを与えている間に、
子供だけでなく、親・先生の方も気持ちを落ち着けることができるからだ。
つい怒りにまかせて撲ってしまい、虐待をしたとされ、
近所の人に通報・逮捕されることもアメリカでは多い。
犯罪に対する態度が断固としているアメリカのことだ、これは一種「自衛」の手段でもあるのだろう。
こどもたちも、私のHost Familyが預かっていた子たちの場合は、いい子たちだったので、
罰を受けるのはハズカシイこと、惨めなことという捉らえ方をしていて、「今日はR、一日に3回もタイム・アウト与えられたんだよ!」とパパにお姉ちゃんが言いつけたりしていて、
競いあったりしている。
子供が自主的に何がわるかったのか考える時間を与えるというのも、
自由には責任の裏付けがある、
というアメリカ的考えかたがあっていいと思う。
Time out
というのがある。
子供を離れたところに、こちらが「もういいよ」と言うまで静かに置いておく、というものである。
次元としては家から締め出すとか、教室の廊下に立たせるとかと同じだ。
10分とか経つと、親または先生がきて、
「なんでみんなから離れてタイム・アウトしてなきゃいけなかったかわかる?」
と聞く。「わかった」と返ってくると、
「じゃぁそれを言ってみて」
と聞き、ちゃんとわかっているか、反省しているかどうかを確認する。
わかっていなかったら、それを静かに教え、
話してわかったようならみんなの輪に復帰が許される。
わからないようなら、「タイム・アウト」が延長される。
まぁだいたいはみんな、この時点で輪に戻ってくるが、また騒いだり人に迷惑をかけたりして困らせた場合には、
「まだわからないのね」
とタイム・アウトをもう一度。
私のHost mamもこれをしょっちゅう出していた。
タイム・アウト。
これが私はいい罰(しつけの手段)だな、と思ったのだ。
タイム・アウトを与えている間に、
子供だけでなく、親・先生の方も気持ちを落ち着けることができるからだ。
つい怒りにまかせて撲ってしまい、虐待をしたとされ、
近所の人に通報・逮捕されることもアメリカでは多い。
犯罪に対する態度が断固としているアメリカのことだ、これは一種「自衛」の手段でもあるのだろう。
こどもたちも、私のHost Familyが預かっていた子たちの場合は、いい子たちだったので、
罰を受けるのはハズカシイこと、惨めなことという捉らえ方をしていて、「今日はR、一日に3回もタイム・アウト与えられたんだよ!」とパパにお姉ちゃんが言いつけたりしていて、
競いあったりしている。
子供が自主的に何がわるかったのか考える時間を与えるというのも、
自由には責任の裏付けがある、
というアメリカ的考えかたがあっていいと思う。
San Francisco 2日目
2001年6月18日 旅行私が一緒にSan Franciscoを行く友たちは、この先8日間の計画が何もなかった。
つまり明日とまるホテルの予約もないという事である。
それどころか、「明日はどこに行こっか〜」の次元である。
ここでご注意いただきたいのは、「明日どこへ」と言ってもどこを観光しようか、という話ではない。
San Franciscoの次に、Los Angeloasへ行くか、ヨセミテ公園へ行くか、Las Vegasへ行くか、
そういう根本的なことを考えていなかったのである。
よって、その間の交通機関も考えられていない。バスか、Amtrak(電車)か、飛行機か…
そんな彼らがついに計画を立てるために動き出した。そう、終に、昨日の夜ホテルで。
夜10時ごろに外の公衆電話まで電話をかけに行って、ホテルの予約をした強者、それが彼らである…
そんなわけで今朝はまず手始めにTourist Imformationへ。
まず最初に私は10分$1のインターネットでミュージカルの今日の今年があるかをチェック。・・…あえなくなかったことが判明…
泣く泣く諦めるより他に道はない(;_;)
最後にはまたSan Franciscoへ帰ってきてから飛行機に乗るので、そのホテルも情報を集める。
さすがはTourist Imformation、ロスへ行くにはこれとこの方法がある、と教えてくれる。ご丁寧に電話番号も、チケットの発行所も。
そしてそこにある公衆電話で各地のホテルに電話を掛けまくる。
私は実はこの日以来彼らとは別行動なので、関係がなかった。そんなわけで彼らを眺める。
…午前中がこうして終了。
「今日はココとココをこういうコースで回っていくね!」
断言。私の(ほとんど)独断と偏見で決めたコースでようやく観光開始。
ケーブルカー乗り場が近いので、やっぱりここはSan Francisco名物に乗っておかなくては!
・…こんなに、渦を巻くほど並んでなければね…vv
あっさりと諦めてCityバス。
意外に早くFisherman’s Wharfに着いた。
海沿いを歩く。
音楽に合わせて動く機械か彫刻のように踊るストリートパフォーマーのお兄さん、昨日は全身銀だったが今日は全身金になっていた(ラジオの色も)。
「毎日ああやって色変えてるのかな?」
「大変だねー」
といいながら(日本語ならわからない)、友達がお金を払って写真を取らせてもらう。
一路目指した先は、ガイドブックに乗っていたどでかいチョコレートサンデーのお店(正確にはかつてチョコレート工場だったのをショッピングモールに改造した所の中の、そのチョコレート工場の名前とおんなじ喫茶店Ghiradeli)。
道に迷いつつも到着。
ガイドブック曰く『全部食べきれたらエライ』
そうか、そんなに大きいのか。じゃあ半分こね。
ってなわけで頼んで、来てみたら。
「ちっさいよ」
「全然いける、こんなのヨユーだよ」
「全然食べたりないよー」
私たちの胃袋の前にはまったく持って余裕なサイズだった。
けど本当に日本のパフェとかのほうがよっぽど大きいぞ!?
アメリカ人なんかこんなの軽いでしょ。
だれがこれでつらくなっちゃったんでしょうか?ガイドブックの著者、あんた小食すぎだ!!
歩き続けて、海沿いの公園Fort Maisonが目的。Golden Gate BridgeのView Pointとして有名(らしい)。
だがすごくきれいな公園。自転車で公園をくるーっとサイクリングする人も多いが、そんなことをしても気持ちがいいほど、きれいな公園だった。
木陰が涼しい。きらきら輝く海と、さわやかな気の湿気が、すべての五感に心地いい。
風景も最高。
こんなきれいな公園があるなら、San Franciscoというのはさぞかし住み心地のいい町だろう。散歩が楽しい街はいい町に決まっている。
本日最大の観光地Golden Gate Bridge。
来た甲斐アリ。
前に来た友達の話では「ただのでかい橋だよ」だったが、
そんなことはない。
確かにでかいただの橋だが、景色がいい。でかいと言っても半端ない。橋の上を歩くことも可能で、3分の1ぐらい歩いてみる。
橋の上は相当の強風で、半袖では寒いくらいだ。
きれい!大きい!を連発しながらみんなで歩いていく。
下をのぞく。高い。暗く海が下に広がっている。
こ、怖い…v
CanadaのCapilanoつり橋の時も大変怖かった。よく揺れるし、吊っているのはただのロープで、橋は木製。まだ無理もないだろう。
だが!
今回は人の胴より太い鉄製のロープ(とはもはや呼べないだろうが)で吊られ、橋はどっしりとコンクリートで塗り固められ、大きな車が通ると確かに揺れるには揺れるのだがすこしだけ。
それでも、怖い!
橋の真中の方へ渡っていくにつれて、揺れも大きくなるし、下は海だけになる。
「落ちたらどうしよう…」
そんなこと、あるわけないと思いつつも、怖い。
この橋の土台と柵の間の隙間に私は胸ないから通ってしまいそう、ここから何かの拍子で海へぼちゃん!なんてことも…
確かに心配性が過ぎる、とは自分でも思った。
だが足が震える。
ここへ来てようやく理解。
高所恐怖症。
し、知らなかった…。
それもどうやら水の上に限る高所恐怖症らしい。溺れるという事に対してよっぽどの恐怖感を持っているようである。
震えつつもなんとか地面に帰還。あーよかった。
夕方へと近づく中、60年代のヒッピー発祥の地Haight Ashbellyへ。
暗くなると怖いよ、と言う通り、治安は明らかに悪そう。
だけどお店は個性的で、楽しげだ。
しかしみんな疲れているし、アメリカの「怖そう」の自分の感覚を馬鹿にしてはいけない。
割と足早に通り過ぎ、
同行の仲間のバスとAmtrakのチケットを買いに行く。
そして、ホテルにただいま。
時は夕方、行動時間ギリギリというところであった。
そしてやっぱり今夜もホテルで彼らの計画作りは進むのであった…
つまり明日とまるホテルの予約もないという事である。
それどころか、「明日はどこに行こっか〜」の次元である。
ここでご注意いただきたいのは、「明日どこへ」と言ってもどこを観光しようか、という話ではない。
San Franciscoの次に、Los Angeloasへ行くか、ヨセミテ公園へ行くか、Las Vegasへ行くか、
そういう根本的なことを考えていなかったのである。
よって、その間の交通機関も考えられていない。バスか、Amtrak(電車)か、飛行機か…
そんな彼らがついに計画を立てるために動き出した。そう、終に、昨日の夜ホテルで。
夜10時ごろに外の公衆電話まで電話をかけに行って、ホテルの予約をした強者、それが彼らである…
そんなわけで今朝はまず手始めにTourist Imformationへ。
まず最初に私は10分$1のインターネットでミュージカルの今日の今年があるかをチェック。・・…あえなくなかったことが判明…
泣く泣く諦めるより他に道はない(;_;)
最後にはまたSan Franciscoへ帰ってきてから飛行機に乗るので、そのホテルも情報を集める。
さすがはTourist Imformation、ロスへ行くにはこれとこの方法がある、と教えてくれる。ご丁寧に電話番号も、チケットの発行所も。
そしてそこにある公衆電話で各地のホテルに電話を掛けまくる。
私は実はこの日以来彼らとは別行動なので、関係がなかった。そんなわけで彼らを眺める。
…午前中がこうして終了。
「今日はココとココをこういうコースで回っていくね!」
断言。私の(ほとんど)独断と偏見で決めたコースでようやく観光開始。
ケーブルカー乗り場が近いので、やっぱりここはSan Francisco名物に乗っておかなくては!
・…こんなに、渦を巻くほど並んでなければね…vv
あっさりと諦めてCityバス。
意外に早くFisherman’s Wharfに着いた。
海沿いを歩く。
音楽に合わせて動く機械か彫刻のように踊るストリートパフォーマーのお兄さん、昨日は全身銀だったが今日は全身金になっていた(ラジオの色も)。
「毎日ああやって色変えてるのかな?」
「大変だねー」
といいながら(日本語ならわからない)、友達がお金を払って写真を取らせてもらう。
一路目指した先は、ガイドブックに乗っていたどでかいチョコレートサンデーのお店(正確にはかつてチョコレート工場だったのをショッピングモールに改造した所の中の、そのチョコレート工場の名前とおんなじ喫茶店Ghiradeli)。
道に迷いつつも到着。
ガイドブック曰く『全部食べきれたらエライ』
そうか、そんなに大きいのか。じゃあ半分こね。
ってなわけで頼んで、来てみたら。
「ちっさいよ」
「全然いける、こんなのヨユーだよ」
「全然食べたりないよー」
私たちの胃袋の前にはまったく持って余裕なサイズだった。
けど本当に日本のパフェとかのほうがよっぽど大きいぞ!?
アメリカ人なんかこんなの軽いでしょ。
だれがこれでつらくなっちゃったんでしょうか?ガイドブックの著者、あんた小食すぎだ!!
歩き続けて、海沿いの公園Fort Maisonが目的。Golden Gate BridgeのView Pointとして有名(らしい)。
だがすごくきれいな公園。自転車で公園をくるーっとサイクリングする人も多いが、そんなことをしても気持ちがいいほど、きれいな公園だった。
木陰が涼しい。きらきら輝く海と、さわやかな気の湿気が、すべての五感に心地いい。
風景も最高。
こんなきれいな公園があるなら、San Franciscoというのはさぞかし住み心地のいい町だろう。散歩が楽しい街はいい町に決まっている。
本日最大の観光地Golden Gate Bridge。
来た甲斐アリ。
前に来た友達の話では「ただのでかい橋だよ」だったが、
そんなことはない。
確かにでかいただの橋だが、景色がいい。でかいと言っても半端ない。橋の上を歩くことも可能で、3分の1ぐらい歩いてみる。
橋の上は相当の強風で、半袖では寒いくらいだ。
きれい!大きい!を連発しながらみんなで歩いていく。
下をのぞく。高い。暗く海が下に広がっている。
こ、怖い…v
CanadaのCapilanoつり橋の時も大変怖かった。よく揺れるし、吊っているのはただのロープで、橋は木製。まだ無理もないだろう。
だが!
今回は人の胴より太い鉄製のロープ(とはもはや呼べないだろうが)で吊られ、橋はどっしりとコンクリートで塗り固められ、大きな車が通ると確かに揺れるには揺れるのだがすこしだけ。
それでも、怖い!
橋の真中の方へ渡っていくにつれて、揺れも大きくなるし、下は海だけになる。
「落ちたらどうしよう…」
そんなこと、あるわけないと思いつつも、怖い。
この橋の土台と柵の間の隙間に私は胸ないから通ってしまいそう、ここから何かの拍子で海へぼちゃん!なんてことも…
確かに心配性が過ぎる、とは自分でも思った。
だが足が震える。
ここへ来てようやく理解。
高所恐怖症。
し、知らなかった…。
それもどうやら水の上に限る高所恐怖症らしい。溺れるという事に対してよっぽどの恐怖感を持っているようである。
震えつつもなんとか地面に帰還。あーよかった。
夕方へと近づく中、60年代のヒッピー発祥の地Haight Ashbellyへ。
暗くなると怖いよ、と言う通り、治安は明らかに悪そう。
だけどお店は個性的で、楽しげだ。
しかしみんな疲れているし、アメリカの「怖そう」の自分の感覚を馬鹿にしてはいけない。
割と足早に通り過ぎ、
同行の仲間のバスとAmtrakのチケットを買いに行く。
そして、ホテルにただいま。
時は夕方、行動時間ギリギリというところであった。
そしてやっぱり今夜もホテルで彼らの計画作りは進むのであった…
San Francisco
2001年6月17日 旅行本日よりSummer Break10日間。
10日じゃ少ない!という文句はさておき、
まずはSan Franciscoへ・・・
着いたのはお昼頃。
昨日、「そろそろホテルの予約くらいしておかなきゃなー」という行き当たりばったりさで、
日曜日というのも重なり多くのエコノミー・ホテルが埋まっていたにもかかわらず、
空いていたChina Townのすぐそばのホテル。
行ってみたら、
「・・・ハイ、なるほどね」
というぼろっちさでしたが、
まあまだ部屋の掃除が終わってないだけで、
シャンプーとかドライヤーとかが付いていないというだけで、
壁がすごく薄いというだけで、
階段がぎしぎしいうだけで、
エレベーターの定員が3名というだけで、
なんとかなったのでいいとしましょう。
さて、まずは一番近い
China Town
不思議です。
なぜかChinaTownに芸者さんの絵。
ChinaTownというか、とにかくアジアなのね。
なんで!?というほど物が安い。
このフィルムの安さはアメリカじゃ脅威的だし、
おみやげ物も安い安い(ただしちょっと汚れているのもあるけど)。
あたりまえだが周りは全部中国語。
マクドナルドも中国語で「麦当労」。
・・・メニューは違うのかとちょっと興味が湧いたが、おなかすいてなかったので、通り過ぎる。
中国人観光客も多かった。
道が細いが、思いの外、夜になっても結構治安はよかった。見た目は怖いが。
王道
Fisherman’s Whalf
さすが王道です。
きれいだし、お店はおもしろいし、
観光客はたくさんいるし、
ストリートパフォーマーはいっぱいいるし、
おもしろかった。
やっぱり海はいいです。きれいです。
アルカトラズ島がすぐそこに見えて、おいでおいでと私を魅了したけど、私には時間がないのだ!!
歩いていくと、人だかり。
なんだろう?と思ってみてみると、
アザラシ!!
なんでこんな都会のそんなに北でもないところにアザラシが!?
どうもSan Franciscoで1989年にあった地震以来、原因はわからないが、やってきて、住み着くようになったらしい。
うーむ、興味深い。
あ、時間だ!!
そう、私がこの町へ来た一番の目的、ミュージカル♪『RENT』
急いでいかなきゃ!もう30分前だ!
せっかくだからケーブルカーで降りていこう。
と思ったら!
ケーブルカーの周りを人がぐるーっと取り囲んで並んでいる。
「こ、こんなに待てない・・・」
とりあえずチケットだけ電話で予約。
「・・・ただいま、営業時間外です・・・」
あ、そうだ。この番号は6時までだった。
くそー!!
じゃあタクシー!
だけど、ちゃんとしたタクシーじゃないと怖いから・・・
・・・流しのタクシーはあまりいない・・・。
うそー!?(-□-;)
・・・こんなわけで、私はまた旅の目的をひとつ逃ししまった・・・(T-T)
10日じゃ少ない!という文句はさておき、
まずはSan Franciscoへ・・・
着いたのはお昼頃。
昨日、「そろそろホテルの予約くらいしておかなきゃなー」という行き当たりばったりさで、
日曜日というのも重なり多くのエコノミー・ホテルが埋まっていたにもかかわらず、
空いていたChina Townのすぐそばのホテル。
行ってみたら、
「・・・ハイ、なるほどね」
というぼろっちさでしたが、
まあまだ部屋の掃除が終わってないだけで、
シャンプーとかドライヤーとかが付いていないというだけで、
壁がすごく薄いというだけで、
階段がぎしぎしいうだけで、
エレベーターの定員が3名というだけで、
なんとかなったのでいいとしましょう。
さて、まずは一番近い
China Town
不思議です。
なぜかChinaTownに芸者さんの絵。
ChinaTownというか、とにかくアジアなのね。
なんで!?というほど物が安い。
このフィルムの安さはアメリカじゃ脅威的だし、
おみやげ物も安い安い(ただしちょっと汚れているのもあるけど)。
あたりまえだが周りは全部中国語。
マクドナルドも中国語で「麦当労」。
・・・メニューは違うのかとちょっと興味が湧いたが、おなかすいてなかったので、通り過ぎる。
中国人観光客も多かった。
道が細いが、思いの外、夜になっても結構治安はよかった。見た目は怖いが。
王道
Fisherman’s Whalf
さすが王道です。
きれいだし、お店はおもしろいし、
観光客はたくさんいるし、
ストリートパフォーマーはいっぱいいるし、
おもしろかった。
やっぱり海はいいです。きれいです。
アルカトラズ島がすぐそこに見えて、おいでおいでと私を魅了したけど、私には時間がないのだ!!
歩いていくと、人だかり。
なんだろう?と思ってみてみると、
アザラシ!!
なんでこんな都会のそんなに北でもないところにアザラシが!?
どうもSan Franciscoで1989年にあった地震以来、原因はわからないが、やってきて、住み着くようになったらしい。
うーむ、興味深い。
あ、時間だ!!
そう、私がこの町へ来た一番の目的、ミュージカル♪『RENT』
急いでいかなきゃ!もう30分前だ!
せっかくだからケーブルカーで降りていこう。
と思ったら!
ケーブルカーの周りを人がぐるーっと取り囲んで並んでいる。
「こ、こんなに待てない・・・」
とりあえずチケットだけ電話で予約。
「・・・ただいま、営業時間外です・・・」
あ、そうだ。この番号は6時までだった。
くそー!!
じゃあタクシー!
だけど、ちゃんとしたタクシーじゃないと怖いから・・・
・・・流しのタクシーはあまりいない・・・。
うそー!?(-□-;)
・・・こんなわけで、私はまた旅の目的をひとつ逃ししまった・・・(T-T)
引越し
2001年6月15日夏の寮に引越ししました。
夏のClassを取るAmericanはほとんどいないので、夏の寮に住むのはほとんど日本人。
最悪。
これならもう日本帰りたいよー
私の大好きなAmericanの友達も、みんな寮を離れて実家に帰ってしまいました。
私の大好きなルームメイトも。
私、卒業式とか泣いたことなかったのですが、
夏の寮に移って、荷物を新しい部屋に移していたら、悲しくて切なくて、泣いてしまいました。
自分でも泣くとは思っていなかったので、びっくりしたけど、ちっとも止まらなかった。
あーこれからこの部屋かぁ。
もうAmericanの友達と会うことは90%ないな。
すごい仲良くなれたのに・・・
生活のサイクルとかも合ってて、考え方にもそんなについていけなっていうようなとこはなかったのに・・・
あー。
もう、やだ。
また泣きそうになってきた。
夏のClassを取るAmericanはほとんどいないので、夏の寮に住むのはほとんど日本人。
最悪。
これならもう日本帰りたいよー
私の大好きなAmericanの友達も、みんな寮を離れて実家に帰ってしまいました。
私の大好きなルームメイトも。
私、卒業式とか泣いたことなかったのですが、
夏の寮に移って、荷物を新しい部屋に移していたら、悲しくて切なくて、泣いてしまいました。
自分でも泣くとは思っていなかったので、びっくりしたけど、ちっとも止まらなかった。
あーこれからこの部屋かぁ。
もうAmericanの友達と会うことは90%ないな。
すごい仲良くなれたのに・・・
生活のサイクルとかも合ってて、考え方にもそんなについていけなっていうようなとこはなかったのに・・・
あー。
もう、やだ。
また泣きそうになってきた。
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人間不信
2001年6月3日友達が、ある人にひどく嫌われたそうで。
なんで嫌われるのか分からない、
こんなに嫌われてるからもう今さら仲良くしたいとも思わない。
だけどやな気分!
ええ、そりゃそうだ。
たとえ自分があんまり好きでない人だったとしても、
やっぱり
面と向かって嫌いって言われたり、
陰口たたかれたら気分悪い。
この年になってまでそんなことぐちぐち言う人がいるとは思ってなかったけど、
未だにいるにはいるらしい。
私の場合、小学校の頃にこれで泣くのは一応終わったのです。
虐められたこともあるし、
ある程度慣れたと言うか、諦めがついたと言うか。
自分に置き換えてみても、
どうしても好きになれない人と言うのは
ごく珠にいるので。
私はこれは普通のことだと思っていました。
つまり、みんな一生に一度は陰口たたかれたりして、嫌われることがあるものなのだ、と。
誰しもそう言う経験を積んできているものなのだと。
しかし。
その私の友達曰く、
「こんなのって初めて!もう人間不信になりそうだよ・・・」
逆に私はこの台詞に吃驚しました。
そんな人もいたんだ・・・
20年間生きて、私は一度も人に嫌われないということの方が、不可能。
私はそう思っていた。
だけどこんな人もいるんだね・・・
小学校や中学校の頃に、どうやってそれを克服するか、
私は経験から学んだ(と思う)。
だが私のその友達は、それをどうやって克服すればいいのか、分からないのです。
これは不幸なこと?
それとも幸せなことなのでしょうか?
人が何を考えているのか、
外見からは分からない。
だけど、今自分が向かい合っている相手が
自分を嫌いじゃない、
という前提で、人は笑って会話を楽しむことができます。
でもその前提が崩れたら?
笑えなくなる。
目の前の人が信じられなくなる。
特に、いつもは笑って親し気に話してくれる人が、
実は陰で私を悪く言っているのだと気付いたら。
人の笑顔が信じられなくなることは不幸です。
でも、この不幸の乗り越え方を知らなくては、人は生きていけない。
だから。
私の友達は、不幸でしょうか?
でも人にいつも好かれて生きることは幸せだから・・・
この答えを私は知りません。
なんで嫌われるのか分からない、
こんなに嫌われてるからもう今さら仲良くしたいとも思わない。
だけどやな気分!
ええ、そりゃそうだ。
たとえ自分があんまり好きでない人だったとしても、
やっぱり
面と向かって嫌いって言われたり、
陰口たたかれたら気分悪い。
この年になってまでそんなことぐちぐち言う人がいるとは思ってなかったけど、
未だにいるにはいるらしい。
私の場合、小学校の頃にこれで泣くのは一応終わったのです。
虐められたこともあるし、
ある程度慣れたと言うか、諦めがついたと言うか。
自分に置き換えてみても、
どうしても好きになれない人と言うのは
ごく珠にいるので。
私はこれは普通のことだと思っていました。
つまり、みんな一生に一度は陰口たたかれたりして、嫌われることがあるものなのだ、と。
誰しもそう言う経験を積んできているものなのだと。
しかし。
その私の友達曰く、
「こんなのって初めて!もう人間不信になりそうだよ・・・」
逆に私はこの台詞に吃驚しました。
そんな人もいたんだ・・・
20年間生きて、私は一度も人に嫌われないということの方が、不可能。
私はそう思っていた。
だけどこんな人もいるんだね・・・
小学校や中学校の頃に、どうやってそれを克服するか、
私は経験から学んだ(と思う)。
だが私のその友達は、それをどうやって克服すればいいのか、分からないのです。
これは不幸なこと?
それとも幸せなことなのでしょうか?
人が何を考えているのか、
外見からは分からない。
だけど、今自分が向かい合っている相手が
自分を嫌いじゃない、
という前提で、人は笑って会話を楽しむことができます。
でもその前提が崩れたら?
笑えなくなる。
目の前の人が信じられなくなる。
特に、いつもは笑って親し気に話してくれる人が、
実は陰で私を悪く言っているのだと気付いたら。
人の笑顔が信じられなくなることは不幸です。
でも、この不幸の乗り越え方を知らなくては、人は生きていけない。
だから。
私の友達は、不幸でしょうか?
でも人にいつも好かれて生きることは幸せだから・・・
この答えを私は知りません。
"Peal Haber"
2001年6月2日 映画ん?
なんだか大いにスペルが間違っているような気がするがv
まぁともかく『パールハーバー』観てきました。
まずは前評判のお話。
学校で無料配布されている新聞(当然書いてるのはアメリカ人)に、
映画の評価みたいなのが出るんですが、
そこでの評価は4段階で3(1が一番いい)。
「長い!やたら人が死ぬ!三角関係だけ!」
観に行った友達の話を聞いても、
「すごいラブラブだよ」
はーそうかー、と思いつつも、
私はこれがどうしてもアメリカ人と一緒に見に行きたかった。
で、ルームメイトと一緒に行ってきた。
映画館に行ったら、昔の「アメリカ一番」の考えで描かれてるから、
「席に年を取った人が目立つね」とルームメイト。
なるほど。
二人の男(名前はまたしてもよくわからなかったvデニーと、もう一人がよくわからなかった)は幼なじみ。小さなころからパイロットを夢見てきた。
さて、幼なじみ1(デニーじゃない方)、入隊の時に検査を受けた看護婦さんと付き合っていた。
パイロットの訓練を受け、
その彼は激戦地に送られる。(アメリカ国内は参戦に対して消極的。国際社会の中で主導権を放したくないので、形だけ兵士を送っている)
デニーとその看護婦さんはハワイへ・・・
彼は毎日埃と血にまみれて戦いながら看護婦さんに手紙を書き、
デニーと看護婦さんはハワイでのんびり半リゾート的に暮らしている。
ある日、彼が死んだという報が入る。
デニーと看護婦さん両方にとってとても大切な人だったので、
二人でそれを慰めあっているうちに、
いい雰囲気になって、彼の死から3ヶ月経って、二人はつきあい始める。
だが実は・・・
このあらすじではまだ真珠湾攻撃始まってないけど、
始まる前にアメリカが日本の様子を探っていたり、
日本が攻撃準備をしているところも出ては、来る。
そのときに日本軍が喋る日本語が変。棒読み(^^;
真珠湾攻撃が始まって、次々と軍艦が沈められ、逃げそびれた人が閉じ込められたりする。
この沈むところとか閉じ込められた人を助けようとするところとか、
『タイタニック』を彷彿とさせます。
デニーと看護婦さんが結ばれるところもタイタニックぽかった。
戦争なので、どんどん人が死にます。惨劇としか言いようがありません。
奇襲だから、基本的に死ぬのはアメリカ人だけ。
どうにか反撃して、たまに日本の飛行機が打ち落とされると、
映画館の観客から歓声があがって、ちょっと気まずかったv
まぁそれはしょうがないとして、
真珠湾攻撃はこんなもんだったでしょう。
一番アメリカ寄りだと思ったのは、
真珠湾から時が過ぎて、笹原兵器工場をデニーたちが反撃しに行くところ。
この時には日本人がいっぱい死ぬんですが、
そのシーンはあまり出ず、少数のアメリカ人死者が強調されます。
なんかここはちょっとフェアじゃないなーと思った。
だがしかし。
人に聞いてたよりはラブラブだけでもなかったけど、
やっぱりこの映画の中心は恋愛でございました。
そして恋愛映画としては私にはいまいちだった。
ルームメイトは号泣してたけど(感情的な人なのです(^^;
なんだか大いにスペルが間違っているような気がするがv
まぁともかく『パールハーバー』観てきました。
まずは前評判のお話。
学校で無料配布されている新聞(当然書いてるのはアメリカ人)に、
映画の評価みたいなのが出るんですが、
そこでの評価は4段階で3(1が一番いい)。
「長い!やたら人が死ぬ!三角関係だけ!」
観に行った友達の話を聞いても、
「すごいラブラブだよ」
はーそうかー、と思いつつも、
私はこれがどうしてもアメリカ人と一緒に見に行きたかった。
で、ルームメイトと一緒に行ってきた。
映画館に行ったら、昔の「アメリカ一番」の考えで描かれてるから、
「席に年を取った人が目立つね」とルームメイト。
なるほど。
二人の男(名前はまたしてもよくわからなかったvデニーと、もう一人がよくわからなかった)は幼なじみ。小さなころからパイロットを夢見てきた。
さて、幼なじみ1(デニーじゃない方)、入隊の時に検査を受けた看護婦さんと付き合っていた。
パイロットの訓練を受け、
その彼は激戦地に送られる。(アメリカ国内は参戦に対して消極的。国際社会の中で主導権を放したくないので、形だけ兵士を送っている)
デニーとその看護婦さんはハワイへ・・・
彼は毎日埃と血にまみれて戦いながら看護婦さんに手紙を書き、
デニーと看護婦さんはハワイでのんびり半リゾート的に暮らしている。
ある日、彼が死んだという報が入る。
デニーと看護婦さん両方にとってとても大切な人だったので、
二人でそれを慰めあっているうちに、
いい雰囲気になって、彼の死から3ヶ月経って、二人はつきあい始める。
だが実は・・・
このあらすじではまだ真珠湾攻撃始まってないけど、
始まる前にアメリカが日本の様子を探っていたり、
日本が攻撃準備をしているところも出ては、来る。
そのときに日本軍が喋る日本語が変。棒読み(^^;
真珠湾攻撃が始まって、次々と軍艦が沈められ、逃げそびれた人が閉じ込められたりする。
この沈むところとか閉じ込められた人を助けようとするところとか、
『タイタニック』を彷彿とさせます。
デニーと看護婦さんが結ばれるところもタイタニックぽかった。
戦争なので、どんどん人が死にます。惨劇としか言いようがありません。
奇襲だから、基本的に死ぬのはアメリカ人だけ。
どうにか反撃して、たまに日本の飛行機が打ち落とされると、
映画館の観客から歓声があがって、ちょっと気まずかったv
まぁそれはしょうがないとして、
真珠湾攻撃はこんなもんだったでしょう。
一番アメリカ寄りだと思ったのは、
真珠湾から時が過ぎて、笹原兵器工場をデニーたちが反撃しに行くところ。
この時には日本人がいっぱい死ぬんですが、
そのシーンはあまり出ず、少数のアメリカ人死者が強調されます。
なんかここはちょっとフェアじゃないなーと思った。
だがしかし。
人に聞いてたよりはラブラブだけでもなかったけど、
やっぱりこの映画の中心は恋愛でございました。
そして恋愛映画としては私にはいまいちだった。
ルームメイトは号泣してたけど(感情的な人なのです(^^;
好きって・・・?
2001年5月30日えー、珍しく少女小説のようなタイトルつけちゃったけどv
でも、本当にそう思うの。
私はずーっといわゆる「好きな人」がいなくて、5年は経つの。
むしろ自分って実はレズじゃないかと不安になるくらい(笑)
だって女の子かわいいしさー・・・
ま、それはまた今度にして(今度にしちゃうのか!?)
友達の「好き」
はわかるの。その「好き」ならいっぱいいるよ。男も女も。
恋愛の「好き」
はどこからなんだろう?
何が違うんだろう?
「この人のこと、私は好きなんだ」って、そう考えようと思えば考えられるような気もする。
だけど、それって錯覚じゃないの?
よくわからない。
友達の恋バナ聞いてたら、みんな恋してるんだなって思った。
よくわからないけど、
「無神経なのは恋したら変わるよ」
ってのはすごくあったってると思う。
恋愛したくなった今日この頃。
でも、本当にそう思うの。
私はずーっといわゆる「好きな人」がいなくて、5年は経つの。
むしろ自分って実はレズじゃないかと不安になるくらい(笑)
だって女の子かわいいしさー・・・
ま、それはまた今度にして(今度にしちゃうのか!?)
友達の「好き」
はわかるの。その「好き」ならいっぱいいるよ。男も女も。
恋愛の「好き」
はどこからなんだろう?
何が違うんだろう?
「この人のこと、私は好きなんだ」って、そう考えようと思えば考えられるような気もする。
だけど、それって錯覚じゃないの?
よくわからない。
友達の恋バナ聞いてたら、みんな恋してるんだなって思った。
よくわからないけど、
「無神経なのは恋したら変わるよ」
ってのはすごくあったってると思う。
恋愛したくなった今日この頃。
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