どきどきする

2002年8月9日
昨日まで就職セミナーがあったので、
意識は高まってきたけど、
いつまでこれが続くかなぁ・・・

続かなかったら、ダメだろうな。

今日の日記

2002年8月8日
終了…

今日の人の話聞いて、現実感が出てきた。
理想だけじゃダメだ。

やっぱり適性は大事。
「おもしろそう」が実際いつまでも「おもしろい」ところにで働きたい。

もちろん嫌なことややりたくないこともあるし、キレイな仕事じゃない。
キツイ、キタナイ、クルシイ業界でも、
やりがいはあるんだったら、
体力があれば、
やれる。

恐いくらいに、かなり厳しいところだってのはわかってきた。
まだまだ考えなきゃ。
とりあえず自己分析。業界研究。

私は本当にやりたいのか。
学校捨てても、そこへ行きたいか―。
やることはいっぱいある。

理想は捨てよう。

ただ、本気になろう


就活はじめる前に

2002年8月6日
いろいろ考える。

みんながいろいろ考える。

やりたいこと、できること。

なりたい自分、いまの自分。

変わるんだろうか。
変えられるんだろうか。

漠然とあこがれて、漠然と興味がある。
こんな程度で、
「こんな確固たる理由で、絶対やりたい!」 なんて人と勝負になるだろうか。

自分のセールスポイントってなんだろう。

経験不足。

行動してない。
突き詰めてやったかな。
いつもやってない。動かない。

コンプレックスいっぱいで。

だったら動けよ。
あこがれの人みたいに。

なりたいなら、

なってみろ。


就職のおはなし

2002年8月5日
内定者のお話を聞きました。

感動しました。

何に感動したって、
まっすぐに前を向いて、
まっすぐに人を見る。

すごくまっすぐに。

人の目をまっすぐ見て話ができるって、
すごいことだと思うんです。
度胸とか性格とかそれもあるんだろうけど、
それだけじゃなくて。
たくさんの人の前で、きちんと前を向いて話が出来るってことは、
それも自分の体験を語るってことは、
怖いことだと思います。
だって、人の反応が、直接自分に見えてしまうから。
自分の話すことを相手が信じていないとか、
つまらないとか、
そういう否定的な反応が返ってきたら怖い。
自分の体験や考えだから、
余計に否定されると怖いんです。
自分の自信が打ち砕かれる気がする。

だから、
感動したんです。

勇気のある人。
自分を確固として持っている人。
自分にうぬぼれでなく、自信がある人。

だから、
一瞬涙が出そうに、感動しました。

あんな人になりたい。

あんなふうに、
まっすぐ前を向いて、
たくさんの人の前でもうつむかずに、
はっきり話が出来るように。

まっすぐ前を向いて、
話が出来るように、

自分に自信をつけたいです。

お話ありがとうございました。
今度は劇場公開中の映画日記。
予想してたよりはよかったですよ。

わけあってH.G.ウェルズに執着があって、
原作の『タイムマシン』も読んだのです。(創元推理文庫『HGウェルズSF傑作集1』)
けっこうブラックだった・・・(^^;
いやおもしろかったんですけどね。星新一のショートショートみたいで(いやそれは順序が逆か)。
でも、原作じゃ過去には一度も向かわないので、
これは映画は原作とは全然違うんだろうな、と。
そんなわけで、けっこう一気に期待感が薄れたものの、もう友達と約束してたので、行ってきました。

そしたら、期待がほとんどなかった分(?)、よかったです。
**********

アレキサンダーは研究バカの大学教授。
周りから見れば変わった人とばかり付き合う人間だったが、
友人の紹介で出会ったエマと恋仲になり、
プロポーズ。
・・・と思ったその晩に、エマは死んでしまった。
どうしてエマは死んでしまったんだろう。
それをやり直せないものか?
アレキサンダーはより研究にのめりこんだ。
そして、・・・タイムマシンは完成した。
心配する友人や家政婦を振り切って、
アレキサンダーは過去へ向かう。
過去を変えるために・・・

***********
主人公は未来へは行かないのかと思っていたけど、
ちゃんと未来行きました。
原作どおり西暦80万年以上の未来へ。
そこには原作どおり「彼ら」がいたしね。
見かけとかの性質は違いましたが。
実はストーリー的にはありがちだったけど、
原作の精神は残してたし。
うん。
けっこう、よかったです。
SFX満載のハリウッド映画ってあまり興味なかったのですが、
それほどSFXだらけでもなかったし。
人間は未来へ向かって生きなくちゃ!

まったく勝手な評価:5(10段階評価。中。でも悪くなかったんですって、本当にv)
すっげえよかったです!!かっこよかった〜!雰囲気が良くてねぇ。
ま、でもこの日記もまた今度・・・(^^;

点滴

2002年7月29日
生まれて初めて点滴打ちました。
超健康体の私、
物心ついてからこのかた吐いた記憶は一度だけの私。
そして献血好きの私。
点滴は、
献血よりは痛くなかったけど、
献血より怖かった・・・。
だって献血は血を抜くけど、
点滴は血管の中に異物を入れるわけですよ!?
そう考えたら怖かったよー(;_;)
おかげさまで元気になりましたけどね・・・
これもまた書きますv
これは私的に、まぁまぁでした。博雅がイメージに近くかわいいからちょっと許すけど。
ワタシ的に大ヒットでした!

『あの子を探して』
これも中国映画で、
チェン・イーモウ(?)監督作品。

中国山岳部の貧しい村の小学校。
生徒はわずか一クラス。
先生が親の危篤の為に学校を離れる間、
代理教師としてやってきたのは、
13歳の女の子。
他には誰も、そんな田舎へは来てくれなかったのだ。
女の子だって、50元(だったかな?)のギャラにつられてやってきただけだった。
先生は小学校を発つときに、
「私が学校を離れている間ひとりも生徒が減らなかったら、10元払う」
と約束した。
チョークも教科書もほとんどない貧しい小学校で、
女の子はかなりテキトーに授業をする。

目標は生徒を減らさないこと。

しかし、ある日学校へ行ってみると、
問題児のホエクーが町へ出稼ぎに行ってしまったという。
「連れ戻さなきゃ!」
女の子は、一人で町へ行く。
あの子を探して・・・

********
なかなかきれいにまとまったなv

代理教師の女の子(またしても名前忘れたv)、
かなり表情に乏しい子なんだけど、
それがまた、いい感じなんです。

かなりいいかげんな代理教師だった女の子が、
町へ行くためのお金はどうするか、
小学校のみんなで考え、
みんなで送り出してもらって、
淡々としているように見えながらも、
必死さはわかるようになる。
いつも無表情なだけに、
女の子がいる村も貧しくて厳しいんだろうな、
とわかる気がします。

小学校の子供たちも、
代理教師の女の子も、
年は小さいけど、私より生活力はあって、もっとなんでもやれちゃう感じする・・・
さみしいことや哀しいことがあるのはわかってて、
そんなのどんどん達観しちゃって(諦めて、ともいうんだろうけど)、
とにかく生き抜くって感じで、
感化されました。

感動しましたぁ・・・!

ほとんどお気に入り度に基づいた評価:9(上)
相変わらず私には恋愛関係の青春はなく・・・(--;、友達関係で。

友達Aが、友達Bのことが嫌いらしい。

二人とも女の子で、
まぁ一緒のグループと言いますか、(この年になって今さらグループも何もないんですが)友達が繋がっているので、なにかに機会に一緒に行動することも多い仲なんです。
Bは私の入学当初からの友達だし、
Aも1年の時からの友達で、
2年生の間にBとAも個人的にも友達になったようだったのですが。

で、Aから今日Bが嫌いだ、という事を遠まわしに聞いた。
私はそういう不和には鈍感な方だという自覚もあったわけですが、ちっとも気づいちゃいなかった。
Aが言うには、BはAにとっての最低限のマナーとか常識を外れたことをする人らしい。
そして、それに最近になって気がついてきて、
いやだなー 関わりたくないなー
と思うようになったそうで。

しかしながら(何でもいいけどこういう滅多に使わないような堅苦しい長い接続詞好きだな、私)、

もはや周囲の関係もすっかり繋がってしまい、
AとBが決定的に仲たがいをすれば、
周りにも迷惑がかかる。
だから、さりげなく関係から身を引いて、関係を絶つ訳にもいかない。

それでAはストレスがたまっているそうだ。

・・・まぁ、それはいいとしよう。

でも、これはAとBの問題だと思う。
実際、AとBの問題だし。

だったら、周りに迷惑がかかるから、ということを、
そこまで気にしている必要はないんじゃないか?
だってAは結局、口も利きたくないと思ってるくらい、厭なんだし。
そうやってAがBをきらっている時点で、そりゃもうすでに周りとしては、迷惑なんだから。
もはや、周りに迷惑がかかるとか、
Bと関わりたくもないからなんか言ってやるのもやだとか、
言ってる場合じゃないんじゃないか?

それに、
周りに迷惑かけたくない、という理由があるんだったら、
どうしてそれを「周り」である私に打ち明けてくれちゃったんだ?
そりゃまぁ、どうしたの?とは聞いたが。でもそれくらいは、友達なら聞くだろうよ。無理に聞き出したつもりはない。
打ち明けられたら、余計に気まずいじゃないか。
私はAもBも好きなんだから、Bを悪く言うのを聞くのは、ツライ。それも他の友達からなんて、最悪だ。

私はAにどう言ってあげればよかったんだろう?

言い方はもっと婉曲的だったが(私は婉曲的に違憲を言うのが苦手だが)、
「もはや周りに迷惑をかけたくないとか言ってる場合じゃない」ということは言った。
さすがに「私に言わないで欲しかった」とはいえなかったが・・・。

アドヴァイスを求められたというよりは、
単に愚痴を聞いたという方が正しいのだろう。
けれども、そんなことを言われても、私だって困る。
私も同じくBを嫌いになれと?そりゃ無理な話だ。・・・とAだってわかってるはずなんだが。
ビデオで何本か映画を観ました。
まとめて映画日記・・・

『山の郵便配達人』
チェン・イーモウ(とかそんな感じの名前)という人が監督(らしい)。
中国映画。ミニシアターで上映していたようです。

中国内陸部の山村。

父は足を悪くして郵便配達を辞めることになった。
代わりに息子がその推薦で郵便配達人になった。

郵便配達といっても、ここでの郵便配達は旅のようなものだ。
泊りがけで、何日も、時には何ヶ月もかかって、郵便物を届け、郵便物を受け取り、一周して、ようやく家に帰る。
いくつかの山村を、郵便物を詰めた重いリュックサックを背負って、歩いて配達する。

息子が初めて郵便配達に出る朝。

「こんなつらい仕事・・・」と厳しい顔の母。
「公務員だもの。給料がいいよ」と気安く郵便配達を継ぐ息子。父のこまごまとした忠告を煙たがる。
息子が出かけようとすると、
これまで父のパートナーとして一緒に郵便配達をしてきた犬の次男坊(名前)がついて来ない。
「じゃあいいさ」と出かける息子に、
父は心配になって、次男坊を連れて、一緒に出かけることにした。

父は郵便配達でほとんど家を空けていた。
父のいない家で育った息子は、父を「お父さん」と呼ぶことができない。父をどう扱っていいものかわからない。
父もそんな息子に戸惑わずにはおけない。
この旅は、息子と父が一緒に過ごす、一番長い時間・・・

*******

あらすじはこんなもんです。
簡単に言うとこういう話なんですが、もっと、言葉に出来ないほっこりしたものがある映画でした。

家にずっといない父親は、息子にとってよくわからないもので、
なついてこない息子は、でも父にとってはやっぱり息子なんだ、
とそう言葉で言えなくもないですが、
それだけでもないんです。
親子の対話って大切なんですねぇ・・・
説教と文句だけじゃなくて、対話。会話。

中国の山村では、「近代化」なるものが始まっても、
それは遅くて、車が走っているのに、人が歩いて郵便を運ばなくちゃいけない、なんて、
ちょっと考えられません。
あちこちの山村で、家族のように迎えられる郵便配達人は、
その山村の人たちにとっては、
ただの「郵便配達人」ではなくて、それ以上で、でもそれだけのような、そんな微妙な、

ほっこり

した、存在なんだと思いました。

それから、
中国の山っていいですねー
いやそりゃぁ険しそうだし、登山なんかしたくないけど(^^;、
なんというか、やっぱりよく言われるように、「水墨画」の世界だなーと。
ほとんど水辺の風景は出てこないので、こう、大河の両脇に高くそびえる崖・・・という場面は一箇所もないんですが、
でもなんとなく、
山が高く深く幾重にも重なっていたり、
急な斜面に休憩小屋が張り出したように作ってあったりする、
そういう風景は、私にとっては、「水墨画」というイメージでした。

なんか感想になってないですね(--;
でも、よかったんですよ、この映画・・・。

自分でも根拠が良くわからない評価:8(上)
語学の男の先生の家に遊びに行ってきました。
その先生プロデュースで学園祭で屋台を出すので、
その先生に作り方を習ってきたわけです。

先生の授業中の雑談を聞いているだけでも
彼の料理に対するこだわりは十分わかりました。
そしてよくお料理をする人だということも。

実際に先生の家で先生の作った料理をいただいたら、
本当にうまかった・・・

ジャスミンライスとカレールーを使わないカレーから始まり、
お手製バジルドレッシング付きのハーブサラダから、
果てはミントティー、ココナッツミルクアイスまで、
フルコース!!

そのすべてが手作りなのです。
手作りじゃないものといったら聞茶と爽健美茶だけだった。
そしてどれも至福の美味さ・・・(うっとり)
さすが自分の腕をいつも自慢しているだけのことはある・・・。
感服いたしました。

さて、先生はもう50を過ぎた人ですから、
単純に「すげえ〜!!」と思えたわけですが。

でも、料理の出来る男って、
プロにしている人(もしくはしようとしている人)ならともかく、
そうでない同年代の男だと、
なんか一瞬少し引きませんか!?
もちろん悪いということではなく、
でも個人的にはまず恋愛対象から外れそうな・・・
きっと友達どまりだと思われます。

なぜか?

そりゃぁやっぱり、女のプライドというやつでしょう。
「料理だの裁縫だのが出来る」のは男ではなく女でなくてはいけない、という意識があると思う。
男女平等、なんて言っておきながら、
女として、やっぱり「女のもの」とされてきた家庭科の分野で男に負けるのは悔しい。
「男のもの」であった仕事の分野で女が能力を発揮してくると、
「女の癖に・・・」ってきっと男の人にどこかで思われる(最近は減っていると願う所ですが)。
でも、女は女で、「女のもの」であった仕事の分野で男が女に負けない能力を示すと、
「男の癖に!」と思うわけです。

この先生のように年をとってしまえば、
年の功とかそういう対抗心が薄れる要因があるのでまだいいですが、
やっぱり同年代だとヤダ。

そういうことなのです。

3位決定戦

2002年6月29日
韓国VSトルコ

たったいま終了。
すごいです。
すごいです、この試合、この一戦!!

前半にトルコが3点も入れ(ちなみに韓国は前半1点)、
韓国が後半、必死に追い上げるという試合。
後半もずっと韓国が攻め続けていたのに、
トルコのゴールキーパー・リシュトゥーが素晴らしいセーブをあげる、あげる。

ああもうだめか・・・

と諦めかけたロスタイム。
そこで韓国1点返し、
その粘りと純粋な真剣さに、思わず興奮。
盛り上がる歓声。
しかしそこで試合終了の笛が・・・

勝者はトルコでした。

韓国選手たちは呆然と崩れ落ちる・・・

と、それをトルコの選手たちが助け起こし、
肩を組み、手をつなぎ、一緒になって、
「大韓民国(テーハミング) チャチャッチャチャッチャ(手拍子)」の大歓声の観客にあいさつに。

こんなシーンがあるとは思いませんでした。
胸が熱くなるって、
こんな感動で胸が熱くなるって、
私の人生でどんな映画を観てもめったにありません。

トルコすごい・・・!

と思っていたそのとき、
観客席に巨大なトルコ国旗が出現しました。

韓国って・・・!!

どうして韓国サポーターがほとんどの韓国の競技場で、
トルコのあんなに大きな国旗が用意されていたんだろう。
小さな旗がいくつも振られていました。
韓国国旗だけでなく、トルコ国旗も。

グラウンドでは
トルコも韓国も、ほとんどの選手がユニホームを交換し合っていました。

なんてすごい瞬間に立ちあっているんだろう、と思いました。

韓国サポーターは韓国チームを応援していたでしょう。
トルコに負けたくはなかったでしょう。
その韓国サポーターが、その相手も共に応援しようという気持ちを持っていたことが、
すごいです。

トルコは韓国に勝って嬉しかったでしょう。
韓国サポーターはものすごいプレッシャーになったでしょう。
そのトルコが、それも試合終了直後に、
韓国サポーターと韓国チームをたたえることが出来る。
それがすごいです。

感動しました。本当に。
トルコ。日本を破ったすごい攻撃力。
韓国。国を挙げての大応援、粘りとひたむきさ。
どちらもこのW杯では、予想外の快進撃だったと思います。
どちらも「この国が!?」というベスト4でした。
ヨーロッパのような国ではなく、後発国。
今までのW杯の成績的にも、それほど注目はされていなかった。
でもそんな予想外の、言うなれば「伏兵」が、
こんな素晴らしい一体感を与えてくれるとは思いもしませんでした。
サッカーって、スポーツって、スポーツマンシップって、
こういうところにあったんですね。

思わず感動で泣きそうになる、なんて、
擦れた私には、映画や本を除けば、
人生初かもしれません。

すごいぞ韓国!!

2002年6月18日
サッカー見ました!?
韓国すごい!!

日本VSトルコはいまいちパッとしないまま負けてしまい、
選手たちなりにがんばった結果だろうし、
仕方がない・・・
とショックで沈みましたが、

韓国!!

日本負けちゃったし、
韓国がんばってほしいなぁ・・・

と呟いていたら、友達が

だって相手はイタリアだよ?
無理でしょう。

と。
ああ確かにそうだなぁと思いながらも見たら、

すごいぜ韓国!!

あのイタリアに勝ってしまったじゃないですか!!
後半も半分以上過ぎてから同点に追いつき、
延長戦の間もばてずに走る、走る。
感動しました〜
諦めたらいけないんですねー、ホント。
真っ赤な韓国サポーターの声援すごかったです。
諦めモードになってしまったり、
「イタリア相手じゃ・・・」なんて弱気にならずに、
ものすごい一体感でした。
本当にサポーターってけっこう力あるんですね。
イタリアはあれじゃかなり怖かっただろうと思いました。

トッティがイエローカード2枚目受けた時は、
いまいち本当にファウルかわからなかったところはありましたが・・・。

でも、韓国、ナイスゲームでした!!

がんばれ韓国!!

『童話物語』

2002年6月5日 読書
おもしろい本を読んだ。
ほんっと、おもしろかった!!
もとはハードカバーの一冊の本だそうですが、なんでそれが出たときに読んでおかなかったんだろう!

『童話物語』
(上・大きなお話の始まり、下・大きなお話の終わり)
(幻冬舎文庫/向山貴彦・作、宮山香里・絵)

舞台はクローシャ大陸。

13歳のペチカは貧しい南クローシャのトリニティーに一人で暮らしていた。
やさしかった母は6歳の時に亡くなり、教会で働いている。
教会の守頭は情け容赦のない大柄な女で、
ペチカは他の教会で働く子どもたちにもいじめられ、
どうにか生き抜いていくために、屈折したいやな女の子になっていた。

クローシャには「妖精の日」伝説があった。
妖精は不死で永遠のシャボン玉の中に住んでいる。
人間が存続するに値しないと判断された時、
妖精が天から降りてきて、
金色の雨を降らせ、人間を滅ぼすだろう。
そんな伝説が、あった。

ペチカはある日、偶然、妖精に出会ってしまう。

それが、長い長い、ペチカの旅の始まりだった・・・。

*******
感動しました・・・
ひさしぶりに長い本を読んだのですが、おもしろくてやめられなくなってしまいました。

まず設定の細かさ。
宗教から歴史、文化まで、設定がやたら細かく作られていて、
どこにもきちんと裏がとってあるのです。
町のなりたちや、植物の名前にも、きちんと背景があって、徹底した設定になっていて、
なおかつそれが自然に記述されていて、
どっぷりクローシャにひたることが出来ました。
天まで到達しようとする「天界の搭」。西には世界の果てがあるのか?
その謎も気になってやめられなくさせられます(^^;
設定を読んで行くと、もっとさらにこの世界の謎を解き明かしたくなって、
いや、この謎を考えたくなって、
さながらエンデの『はてしない物語』で「これはまた別の物語」と言われたときのように想像が膨らんでしまいます。

人間描写も魅力的。
ペチカの性格の悪さにも容赦がなく、同情を煽るようでもなくて、感情移入できるし、
周りのいじめる子どもたちの気持ちも、ルージャンを通して理解できたし、
いわゆる「悪役」たちも、ただ純粋な悪ではなくて、なんで悪になったかも語られていて、安心しました。
(納得がいかなかったのは守頭。なんでそこまで追いかけて来るんだ?)

宮崎駿の『風の谷のナウシカ』の漫画版を読んだときと同じような感動を覚えました。
ただ優しい妖精が出てきて、貧しい女の子が更正していく、なんて単純な話ではなく、
人間の負の面を増幅させる魔法の石や、
不死の妖精と死のある人間がお互いの「死」「不死」を恐れたり、
奥も深いのです。

うーん、このおもしろさをネタバレせずに語るのは難しい(--;
この興奮を、たくさんの人に広めたい気分です。

ほとんどお気に入り度に基づいた評価:10(上の上)

サボリ気味

2002年5月19日
ごめんなちゃい。
おもしろい本を読んだ。

『逃れの森の魔女』
ジョー・ナポリ 青山出版社

誰もが知ってる「ヘンゼルとグレーテル」の、
お菓子の家に住む魔女が主人公。
なんでおどろおどろしい魔女が、あんなファンタジックなお菓子の家を作るのか?
そう思いませんか?
その魔女が、魔女になる前は、娘を想う聖なる産婆であり、神を慕う魔術師だった。
娘を子どもたちを想うがゆえに魔女になってからは、
本当の魔女にはなるまいと暇さえあればお菓子を作る。
ヘンゼルとグレーテルがやってきて、それから・・・

「母」というのはそれだけで、一つの別の生き物であるかのように思えました。
娘を想うがゆえに魔女になり、
ヘンゼルとグレーテルを可愛い子どもたちだと想うから、最期は竈に落ちてゆく・・・
新しい魔女像で、おもしろく読みました。
おすすめ。


働け黄金週間!

2002年5月5日
やたらと舞浜づいてる黄金週間です。
ディズニー・シーに遊びに行きました。
イクスピアリにショッピングに行きました。
残りはバイトです。
舞浜でバイトなので、
やたら今週は舞浜の駅に来ています。
定期を買っておけばよかったと思う今日この頃です。

2002年4月20日
春は気が付いたら飛び去って、
すでに新緑の季節に突入し始めた。

どうでもいいことだが、
私は植物が好きである。

育てるのが好きだとか、そういう意味ではない。
むしろ育てるのは苦手だし、生花なんてさっさと枯らしてしまうのがオチ。

私はそのままで地面から生えている植物を鑑賞するのが好きだ。
「鑑賞」といったら普通は花だろう。
そりゃ花だって綺麗だ。かわいい。
しかし、なんと言っても木である。

樹木

なんて綺麗な文字なんだ!!(意味不明)
誰がなんと言おうが、私は木を鑑賞するのが好きだ。
木といったらやっぱり大きな木がいい。
潅木というような背の低い茂みではなくて、
大きく育った木。
山や森にあるような、木。

どこを見るかといえば、
まぁ全体だが、上と下が着眼点である。
上と下、つまり

「大本の幹から分かれて枝または根が伸びるところ」

ここが美しい。
その枝や根の伸び方といったら何の法則もなく、
突如として瘤があったり、
樹皮がはがれたり、枝が折れたりして、生っ白い(「なまっちろい」と読む)木の中身が見えていたり、
まったく面白いのである。

今の季節なら、新しく出てきたばかりの葉っぱを触ってみるのも好きだ。
柔らかくて、冷たくて、木の種類によってはふかふかで、酸素をたくさん吐き出していそうに見える。
ついでに鼻を近づけて、「これが生まれたての酸素かぁ〜」とわかった気になってみるのもいい。

そんな木好きの私だが、植物の名前はさっぱり覚えられない。
問い合わせ不可。

図書館学とは

2002年4月12日
「図書館学」

この言葉を聞いて皆様どんな学問だと想像されますか?
さぞや「本に関する学問」だとお考えでしょう。
まあそれは間違っていない。

しかし、
「図書館」と「図書」の間には漢字にして1文字の差しかないくせに、
大きくてふか〜い溝がある。

「図書館」

それは本があるところ。
本に出会うところ。
それのみならず図書館は

「本を探すところ」。

本を探す。一言で言ってしまえば簡単だが、ものを「検索する」というのは実はかなり大変なことだったらしい。

まず、探す対象である図書その他の「資料」「情報」の定義から始まる。
曰く「蓄積されたデータのうち、必要とされるもの」
だそうである。

その次に、探す為には、探しやすくする為に
「分類」しなくてはならない。
簡単に言うと検索キーワードに当てはまるように「資料」を分けていくのである。

それからようやく「検索」。
検索する為には「検索の目的を絞る」云々。
出てきた検索結果は、
目的に添っているか「評価」すべきである。云々。

さてここで振り返ってみよう。
「図書館学」とはなにか?
「本に関する学問」であろうか?答えは否である。
ありえない。
図書館学とは

「検索の学問」

なのである。
それが面白いだろうか?いや面白くない!!(反語)
かくして図書館学の講義は片っ端から睡眠時間へと変化するのであった。

時間割

2002年4月9日
大学が始まりました。
今日から授業。
時間割を作ったら鬼のようなハードスケジュールに!!(;_;)
毎日1限からあるし、1年のときより忙しいんじゃないかと思うような忙しさ。

ありえなーい!!(><)

図書館学が大きな要因なのですがね。
あああ(T_T)
今年度は朝から晩まで学校につめる羽目になりそうですv
アラビア語大丈夫かな・・・

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